運輸業界で既存の規制を打ち破り、「宅急便」ビジネスを生み出したヤマト運輸元会長の小倉昌男氏も平成の経済を支えた1人だ。売上高1.5兆円の大手運輸会社の基礎を築いた経営手法は平成の経営者に大きな影響を与えた。宅配便の規制緩和をめぐり旧運輸省と衝突。「運輸省の役人は小学5年生以下だ」と発言し、喝采を浴びたこともある。95年の退任後はヤマト福祉財団理事長として障害者の自立支援に取り組み、国の障害者政策にも積極的に発言し、注目された。

小倉昌男氏(読売新聞/AFLO=写真)

流通・小売業界でも新たなビジネスモデルが躍進した。セブン&アイHD前会長の鈴木敏文氏はコンビニエンスストアというビジネスモデルを日本に導入し、低迷する小売業の再生に貢献した。鈴木氏は92年10月に本体のイトーヨーカ堂の社長に就任。セブンを国内店舗数2万店、売上高10兆円強の国内屈指の小売企業に育て上げた。

70年代の日本の流通市場を席巻したスーパーマーケット(GMS)はバブル崩壊とともに低迷。かつて“西のダイエー、東の西友”と言われたが、地価上昇を前提とした店舗展開をしていたダイエーは業績不振に陥る。西友を傘下に抱えるセゾングループは、グループ企業の不動産デベロッパーである西洋環境開発の破綻を契機に借金清算のために次々とグループ企業を売却。98年にファミリーマートが伊藤忠商事グループに、2002年には西友がウォルマートに売却され、セブンの躍進と好対照をなした。

リノベーターとイノベーター

その後の平成中期以降に活躍した経営者は「負の遺産を解消し、再生と発展に尽力したタイプ」と「従来にない新しい発想でイノベーションを起こしたタイプ」の大きく2つに分かれる。

鈴木敏文氏

前者の1人は、1995年に28年ぶりに豊田家出身以外でトヨタ自動車の社長に就任した奥田碩氏だろう。社内改革を推進し、就任直後にダイハツ工業を連結子会社化。96年には常務以上の役員19人のうち17人を総入れ替えした。ハイブリッド車「プリウス」をトップダウンで販売に踏み切り、低迷していた国内シェアを40%台に回復させるなど経営手腕を発揮。就任前の94年の売上高8兆円を会長職退任の2006年に24兆円にするなどトヨタを世界第1位の自動車メーカーに押し上げた。

また、バブル崩壊後「リストラ」という名の社員のクビ切りが横行。人員削減による収益改善や株主の顔をうかがう経営者が多い中、「雇用を守れない経営者は腹を切れ」と発言し、世間を驚かせた。終身雇用を堅持するトヨタの強さを改めて知らしめるなど、今日のトヨタの礎を築いた。奥田氏はその後、経団連会長に就任。02年3月期にトヨタは国内事業会社初の1兆円の経常利益を出した。

トヨタ流の改革と一線を画したのが日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏だ。経営危機に瀕した日産の再建役として99年にCOOに就任。大規模な工場閉鎖やリストラ、系列企業の見直しで大ナタを振るい「コストカッター」の異名をとった。企業再生のお手本と言われたが、追従する日本企業は少なかった。