日本だけが独自の元号を使い始めた

このように、中国に朝貢している国々は、基本的に中国の元号を使わざるを得なかった。ただ、例外と言えるのが厩戸皇子(うまやどのみこ)(聖徳太子)とそのグループだ。彼は朝貢外交を快く思っていなかったとみえて、できるだけ対等を装うようにしていたようだ。

さらに日本は、表向きは中国に仕えているように振る舞っていたが、実際には、そうするつもりはなく、奈良時代からは独自の元号を次々と使うようになっていた。日本のこうした動きを、中国皇帝は面白く思っていなかったのではないだろうか。

『元号と日本人』プレジデント書籍編集部(著)、 宮瀧交二(監修)

たとえば、7世紀の朝鮮半島では高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)の三国が分かれて戦っていた。やがて新羅が「白村江(はくすきのえ)の戦い」で百済と日本に勝利し、高句麗も滅ぼして、朝鮮半島を統一する。その新羅はかつては独自の元号を使っていたのだが、唐から「なぜ唐の元号を使わないのか?」と問い詰められてしまった。結局、新羅は忠告に従い、唐の年号を使うことになった。

その点、日本は島国で、中国とは海を隔てていたこともあり、すぐに襲われることもないと考えたのか、唐の年号を使わずに独自の元号を使い続けた。そういう意味では、中国の文化圏に入っている国の中でも、日本は例外だったのだ。

朝貢国として唐の元号を使わなければいけないという認識はあったと思うのだが、あえて使わなかったというのは、聖徳太子以来の自主独立の道を歩みたい、そういう国家としてのプライドがあったのではないだろうか。

宮瀧 交二(みやたき・こうじ)
大東文化大学文学部歴史文化学科 教授
1961年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程から埼玉県立博物館主任学芸員を経て、現職。専門は、日本史・博物館学。博士(学術)。NHK「ブラタモリ(大宮編)」に出演。元号についての講演に多数登壇。
(写真=時事通信フォト)
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