※本稿は、プレジデント書籍編集部著、宮瀧交二監修『元号と日本人』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
日本の元号で一番多く使われているのは「永」
中国の元号数は、元号が制度化された唐の建国(618年)から辛亥革命によって清が滅亡するまで(1911年)の間で189とされている。一方、日本は「大化」(645年)から「平成」(1989年)までを合わせると247もあり、数だけで比べると、意外にも日本のほうが多い。
ただ、元号に使用された文字の種類は、中国が148字、日本が72字となり、中国のほうが多いのだ。日本は中国の約半分の72字で247もの元号をつくり出していることになる。なかなか興味深い事実である。ここに、中国と日本の元号で多用された文字を一覧でまとめたが、日本で一番多く使われている文字は「永」で、29回も使われている。
中国の元号と比べて特筆すべきことは、日本の場合、元号の重複がないという点である。
中国では「建武」「太平」の元号はそれぞれ5回、「永興」「太和」はそれぞれ4回も使われている。しかし、日本ではこれまで同じ元号が使われたことは一度もない。
「大正」はベトナムでも使われていた
同時に、日本は他国の元号との重複を嫌っていた。日本史の中での重複も、また、他国が使っている元号を使うことも、どちらも避けたい。ここに日本のプライドの高さがうかがえよう。
ただ、例外がいくつかある。日本でも「建武」という元号が南北朝時代、後醍醐天皇によって採用されている。これは漢の光武帝(こうぶてい)が漢王朝を再興し、後漢を建てたときの元号で、改革を推し進めたかった後醍醐天皇が反対を押し切って採用したとされている。
また、実は「大正」も、ベトナムでも使われていた元号であった。この事実を知っていたのが、かの森鷗外である。ベトナム(安南)では10世紀中頃から第二次世界大戦後まで元号を使用しており、「大正」は1530~1540年に使われていた。そのため、このことを知っていた鷗外は、「不調べの至(いたり)」と新聞で批判している。この記事を読んだ政府が焦ったことは想像に難くない。鷗外がいかに博識であったかがわかる出来事である。