珍しい亀が見つかったから「天平」に改元

では、元号が本当に定着して使われるようになったのはいつなのか。それは、大宝律令が制定され、日本が国家としての体を成した「大宝」(701年)からであろう。事実、「大宝」からは途切れずに「平成」まで続いている。

『日本書紀』に続く歴史書『続日本紀』には、奈良時代のことが事細かに書かれている。そこには改元の理由についての記述もある。

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たとえば、「武蔵国秩父郡から純銅(和銅)が出たため『和銅』に改元」や、「甲羅に『天王貴平知百年』と書かれた珍しい亀が見つかったため『天平』に改元」といった記述がある。こうした祥瑞(しょうずい)(めでたい前兆・吉兆)の出現による改元は、「祥瑞改元」と呼ばれている。

また、改元理由の多くは、天皇の即位による代始めの改元(代始改元、即位改元)である。他に、地震や噴火といった天変地異、疫病の流行といった凶事の発生にともない、その厄を払うために改元する(災異改元)ような場合もあった。

吉兆は口実、政治的な演出としての改元

プレジデント書籍編集部(著)、宮瀧交二(監修)『元号と日本人』(プレジデント社)

ただ、代始改元以外は、その裏に政治的な演出があることも否めない。たとえば、「養老」は、元正天皇が美濃国(今の岐阜県)を行幸した際に病を治す美泉を発見し、これを吉兆として改元したとされている。

もちろんそれは単なる旅行ではないだろう。美濃国は、壬申の乱の際に祖父にあたる天武天皇を助けた豪族たちがいたところだ。おそらく、「今後また何か政争があったときには協力を頼む」といったことを伝えに行ったのではないか。その際に、地元にある美泉に立ち寄って改元を行ったのだから、まさに政治的な演出と言えるだろう。

改元には何かしら理由が必要だ。突然何もなく変えることはできない。もし、「政策がうまくいかないので一新するために改元したい」など、政治的な理由や目的で変えたいと思っても、それを公表するのは躊躇されるのではないだろうか。そこで表向きは天災を理由にしたり、吉兆を理由にしたりすることも珍しくなかったのである。

宮瀧 交二(みやたき・こうじ)
大東文化大学文学部歴史文化学科 教授
1961年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程から埼玉県立博物館主任学芸員を経て、現職。専門は、日本史・博物館学。博士(学術)。NHK「ブラタモリ(大宮編)」に出演。元号についての講演に多数登壇。
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