天皇陛下のお言葉をきっかけに、多くの国民の支持のもと実現することになった天皇譲位。しかし振り返れば、保守系の政治家や評論家の間では、天皇譲位を否定するような見解が少なくなかった。大多数の国民の意識との乖離はなぜ起きたのか。橋下徹氏がずばり読み解く。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(1月15日配信)から抜粋記事をお届けします――。

自称保守インテリは国民大多数が支持する陛下の「人間の部分」を無視するな

NHKが年末年始にかけて放送していた天皇・皇室関連の番組を録画していたものを最近観た。こういう番組を観ると、受信料の払いがいがあると感じる。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Tom-Kichi)

番組では、天皇陛下の国民への想い、大変な「おつとめ」のご様子を観ることができた。天皇制を国民が受け入れ、支え、これからの存続を願い、そして国民が陛下や皇室を慕っている理由が詰まっていたと感じた。

天皇制に反対する者はどんなことがあっても反対するだろうが、国民大多数の想いは、天皇陛下の真摯に国民を想う気持ちへの相互反応である。

これが日本国憲法下の現代における、天皇制の現実だと思う。

かつては天皇と国民(まだ国民という概念がなかったときから)は身分制度によって明確に分けられたり、天皇は神そのものと位置付けられたりしたこともあった。

このときには、万世一系、脈々と繋がる天皇制の制度自身に強烈な権威が存在した。そこでは天皇の人間性というものが捨象される。つまり、天皇から臣民・国民への具体的な想い・行為の中に、臣民・国民が敬慕の念を抱くという明確な関係がなかった。臣民・国民は、ただただ天皇の権威にひれ伏すだけだった。

しかし今は、陛下のお人柄や「おつとめ」「被災地お見舞い」などの具体的な象徴としての行動が、国民の陛下に対する敬慕の念の柱になっていることは間違いない。

この点、日本の国柄として天皇制をことさら強調する、いわゆる保守政治家・保守論客に限って、陛下のお人柄や具体的行動を無視し、天皇制という制度だけを重視する。すなわち陛下の人間性を全く無視するんだよね。

そういえば、天皇譲位の賛否が議論されたときには、この保守政治家・保守論客たちは譲位そのものに反対し、「陛下が被災地お見舞いなどの行動が負担となっていると言われるのであれば、そんなことはなさらずに、ただただその地位に就いて下さればいい」など主張していた。陛下の国民への想いなど不要だと言わんばかりだ。

本だけを読み漁り、頭の中だけで抽象論をこねくり回して、国民の実際を顧みない自称インテリによくあるパターンだ。