そのような意味で徴用工問題の本質は、自国民をきちんと保護しなかった労働問題である。日韓関係における国と国、政府と政府の関係は、1965年の日韓請求権協定で解決した。本件はそれとは別に、日本企業の責任問題である。日本企業はどのような形で、労働者を働かせていたのか。2007年の日本の最高裁判決も、その他日本企業の責任を認めた下級審の裁判例も、この労働環境の酷さを指摘し、そして被害者である労働者に寄り添うような判決となっている。もちろん最終的には1965年日韓請求権協定のような平和条約(和解条約)が存在することから、被害労働者の賠償請求は排斥されたが、しかし被害労働者が被った苦痛に対しては、同情の念、いたわりの念を強く表出している。そこにおいては、強制的に連れてこられた「徴用」なのか、自主的に働くことになった「官あっせん」・「募集」なのかは関係ない。

ここは当時、どのような悲惨な労働環境だったのかが問われる問題である。そして日本企業が違法な労働環境で労働者を働かせていたのであれば、企業として責任を負わなければならないことは当然のことである。当時は戦争状態だったから、というのは言い訳にはならない。ゆえに、もし日本企業に加害の事実があったのであれば、1965年の日韓請求権協定によって最終的には賠償責任を負わないという立場をとるにせよ、加害者としての態度振る舞いというものがあるだろう。今の日本政府、日本国民の態度は、加害者としての態度振る舞いとして相応しいのか。

僕は、弁護士としてこれまで無数の和解契約を締結してきた。和解契約後、被害者側が何らかの追加請求をする場合もある。和解によって消滅していない権利は請求できるという法理論がしっかりあるし、錯誤和解という理屈もある。ゆえに、その請求が最終的に認められるかどうかはともかく、加害者側が「和解契約があるんだから、グダグダ言うな!」と言ってきたら、「おいおいちょっと待てよ、それが加害者としての態度振る舞いか?」となる。

だからフェアの物差しから、僕は「1965年の日韓請求権協定があるんだから韓国はグダグダ言うな!」という今の日本政府、日本国民の態度振る舞いを批判している。

したがって、徴用工問題で重要なことは、当時の日本企業が、労働者をどのように働かせていたのか、それは韓国人や中国人だけでなく、日本人に対してもどうだったのか、ということであり、その点の事実検証が必要だ。さらには、2007年の日本の最高裁判決の論理や、和解契約締結後の追加請求についての法理論についての理解も必要となる。韓国側の請求を断るにせよ、これらのことを十分検討した上で、丁寧かつ真摯に断るのが日本側の取るべき態度振る舞いだ。

「1965年の日韓請求権協定があるから、もう終わり」という今の日本側の思考や態度振る舞いは、全く頭を使っていない最も低レベルのものであり、仮に日本企業に加害の事実があったならば、最悪の態度振る舞いである。

(略)

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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.131(12月11日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【韓国徴用工問題(3)】世間からのご批判に応えます! なぜ日韓請求権協定を前提にするだけではダメなのか?》特集です。

(写真=iStock.com)
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