「東大の入学資格をお金で買えるか?」

『新潮45』(9月号)でジャーナリストの大江舜は「裏口入学、何が悪い?」というテーマで書いているが、その中で、マイケル・サンデル著『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業「上」』(早川書房)を引用している。

「東大の入学資格をお金で買えるか?」とサンデルは東大生に問いかける。合格ラインに届かない志望者がいたが、親が「自分の子供が合格したら図書館や化学実験室をつくるために44億円寄付するといった。さあ諸君ならどうする?」

最初は金で入学させるのはおかしいといっていた。だが、リョウタという学生はこう答えた。

合格にはいろいろな尺度があっていい。学力で入る人もいれば、経済的な形で貢献する人もいる。学力以外のタレントを持っていて入る人もいる。それらの人々が集い合って、自分の持っているものでお互い貢献し合うことが、社会経済、文化の発展につながる大学の役割だと考える。

サンデルはこれを聞いて、「このことを不公正だと思うだろうか?」と再び学生たちに聞くのである。

太田クン、君ならどう答えるだろうか。

私も親しくしてもらった立川談志師匠だったら、粋にこういったのではないだろうか。

「オレは割り算はたしかにできないよ。でもさ、壺算(注を参照)ならできるぜ」

おあとがよろしいようで。(文中敬称略)

▼注:壺算(つぼざん)とは

桂枝雀の名演で有名な壺算はこういう噺だ。

「駆け引きのうまい客が二荷入りの壺を買いに行った。最初は、三円五十銭だった一荷入りの壺を番頭に三円にまけさせ、手に入れる。

一荷入りの壺を一旦持ち帰りかけ、『欲しいのは二荷入りだった』と、再び店へ戻る。

番頭が「二荷入りの水を入れる壺は、一荷入りの倍です」という言葉尻をとらえ、「三円で買ったんだから六円だろ」と、本来七円の壺を六円で売ることをしぶしぶ認めさせる。

そこで、今持っている一荷入りの壺を「下取りしてほしい」といい、番頭がどうぞどうぞというと、先に渡した三円と合わせて「六円になるな」といって、壺を持ち帰ろうとする。

番頭が、それはおかしいといいながら、いいくるめられ、しまいに番頭はベソをかいて、

「すいません、前にお持ちになった一荷入りの壺、持って帰って下さい」

客が「一荷入りはいらねえんだ」というと、

「その代わり、いただいたこの三円もお返ししますから」

私は、今でもこの噺を聞くと、客のいい分の方が正しいと思ってしまう。大学は出たけれど、私は足し算さえできないのである。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。
(写真=時事通信フォト)
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