“不常識に”“非真面目”に
関は高い燃費性能をより小さく、軽い、低コストの車で実現するため、自らシビアな重量目標を設定した。目標数値は1190キロ。この目標設定が最大のピンチをもたらすことになる。
それは中盤の07年初夏。図面が描き上がり、試作に移行する直前。計算の結果、総重量が目標を10キロオーバーしていたことが判明する。試作車は改良が加わり、現状維持が精いっぱいだ。関は遅延覚悟で見直しを決断する。「1週間かけて500グラム以上の部品すべてを洗い直す」。図面にして1300枚に及ぶグラム単位の過酷な減量が始まった。
PLや担当者を順に呼ぶと予想どおり、「これ以上軽量化は無理です」と猛反発した。ギリギリの設計を続けてきたエキスパートたちのモチベーションを落とさず、いかにしてもう一度図面を引かせるか。関は向き合うとこう切り出した。「この部品の役割は何なのか」。それは原点に戻る問いかけだった。関が話す。
「部品はすべて意味を持っています。その意味を持たせるため、君はどうしたいと思い、どんな目標を立てて設計したのかを問うたのです。すると、彼ら自身が本筋でない部分に気づき、“あっ、ここは軽量化できます”と答えを出してきました。僕のやり方の基本にあるのは個の尊重です。おまえは何をやりたいのか。ホンダの設計者の心をくすぐりました」
シミュレーションを経て1カ月後、13キロの減量に成功。プロジェクトは最大の山場を乗り切った。