かつて道路沿いにたくさんあった「ドライブイン」。時代の役割を終え、閉店が相次いでいるが、その様子を丹念に記録しているライターがいる。「いま記録しなければ歴史から消えてしまう」。その使命感が彼を突き動かし、自費出版の冊子「月刊ドライブイン」を刊行している。今回は、今年4月30日に閉店を迎えた山口県岩国市「ドライブイン峠」のケースをご紹介しよう――。

国道2号線が舗装されていなかった頃

そのお店は名前通りの場所に立っていた。錦帯橋で有名な山口県岩国市を出て西に走ってゆくと、次第に建物が消え、山へと続く上り坂になる。廿木峠にさしかかったところで、突如として一軒の建物が姿をあらわす。「ドライブイン峠」だ。最寄り駅からだと山道を30分歩かなければならず、クルマで移動しなければお店の存在に気づくこともなかったかもしれない。

閉店前、4月20日のドライブイン峠(山口県岩国市)。以下、画像はすべて著者撮影

ドライブインというのは、ドライバーが立ち寄って休憩するためのレストランや土産物店のこと。サービスエリアや道の駅も同じ役割を担っているが、サービスエリアは高速道路にあり、道の駅は自治体が運営に携わり国土交通省が認定したものをさす。それに対して、ドライブインは一般道路沿いにあり、多くの場合ご家族が経営されている。「どうしてこんなところに?」という立地であることも多いが、その成り立ちを振り返ってみると、そこには必然性がある。

こんな山の中に「ドライブイン峠」が創業されたのは、国道2号線が走っているからだ。国道2号線というのは日本の大動脈であるのだが、実際に走ってみると片側一車線の区間も多く、どこか頼りない感じがする。歴史を振り返ってみても、山陽地方には穏やかな瀬戸内海が広がっており、長距離の移動には陸路よりも海路が重宝されてきた。そのため山陽路は険しく、その状況は明治維新を迎えても改善されていなかった。

現在の国道2号線は大正8年に制定された道路法によって路線が定められたが、自動車がスムーズに通行できるような道路ではなかった。1947年に刊行された「道路」(公益社団法人日本道路協会)という雑誌の中で、鳥取県土木課長(当時)の早田英夫は「山陽道は改修遅々として実に寒心に堪えない状況にある」と論じている。その中でも特に改良が必要とされ、「路幅狭隘、屈曲鋭光にして到底近代的交通に適応し得ない」と酷評されているのが「ドライブイン峠」が建つ一帯である。

ロードサイドを走ると、廃墟になってしまった店を含めて、数多くのドライブインが存在する。これほど多くのお店が「ドライブイン」という看板を掲げて商売を始めた時代があったのかと驚かされるが、一軒、また一軒と閉店しつつある。「ドライブイン峠」もその一つだ。