「私が小学生の頃はね、このあたりの道路はまだアスファルトで舗装されてなかったですよ」。そう語るのは、「ドライブイン峠」の2代目店主・西村泰和さんだ。泰和さんが生まれた1949年の段階では、山口県を走る国道2号線の舗装率はまだ2割にも満たなかった。

「車が通るとほこりが舞い上がるんで、少しでもほこりがたたんように、朝夕には水撒きするのが仕事みたいな感じでしたね。あの頃はまだそんなに車が通ってなかったですけど、近所の人が皆水を撒きよったのをおぼえてます」

のれんをくぐると、ずらりと並んだメニューが出迎えてくれる。とんかつやしょうが焼、ホルモンにレバニラとボリュームのある定食ばかり。

1982年生まれの私にとって、泰和さんは親と同じ世代。親世代がこどもだった頃にはまだ今のような道路網が存在せず、自家用車もほとんど普及していなかったのだと思うと不思議な感じがする。

国道2号線は日本の道路の舗装が進められるのは昭和30年代に入ってからのこと。改良が進むにつれて交通量は飛躍的に伸び、物流をトラックが担うようになる。そうした時代の潮流の中で、1967年、「ドライブイン峠」が創業する。お店を始めたのは泰和さんの父・茂生さんと母・ヤヤ子さんだ。

「ドライブインを始める前から、母は岩国の街場のほうで料理屋をやりよったんです。料理屋といってもうどん屋のような大衆食堂で、知り合いとふたりで店をやってましたね。父は働きに出てたんですけど、仕事を辞めることになって、今度は夫婦で店をやってみようかという話になった。その時期というのはちょうど国道2号線の交通量が増え出した時期だったんで、『今度は街場じゃなくて、ちょっと離れたあたりでドライブインをやってみようか』ということで創業したみたいです」

夫婦で引き継ぐドライブイン

廿木峠でドライブインを始める――その噂を聞きつけた地元の人たちの中には「こんな田舎で店を始めて流行るのか」といぶかしがる人もいた。だが、「ドライブイン峠」は創業当時から大盛況だった。

「当時は国道2号線しか道路がなかったですから、ものすごく賑わいました。特にお盆や正月になると、帰省客が次から次へやってくる。うちは24時間営業だったもんですから、『トイレを貸してくれ』と入ってくるお客さんもおれば、『団体だけど入れますか』というお客さんもおって、深夜でも賑わってましたね。みかんなんかを袋詰めしただけでも、棚に並べたらすぐに売れるような状態でした」