「月刊ドライブイン」は17年4月に創刊。6月25日に、最終号となるvol.12を刊行予定。

そんな私がドライブインの存在に気づいたのは、原付で日本全国を旅していたときのこと。原付が走れるのは一般道路だけで、ひたすら下道を走っていると、何十軒、何百軒と「ドライブイン」という看板を見かけた。こんなに点在しているということは、かつてドライブインの時代があったはずだ。

お店が消えても、建物や写真は残るだろう。ただ、営業しているうちに取材しておかなければ、そこに流れていた時間や、お店を支えてきた人たちの声というのは消え去ってしまう。そこに存在していたはずの歴史は、なかったことになってしまう。それはとても寂しいことだ。そこで私は「声を聞き取れるうちに記録しなければ」と日本各地のドライブインを取材し、昨年の春に『月刊ドライブイン』というリトルプレスを創刊した。

「ドライブイン峠」を取材することに決めたのも、お店が今年の4月30日で閉店すると知ったことがきっかけだった。

2人が閉店を決めたとき

半世紀ものあいだ使い込まれた厨房には、調理器具やフライパンが機能的に配置されている。

「数年前から体調が悪くて、常連客には『そろそろ辞めようと思う』と伝えてはおったんです。去年大きな怪我をしたこともあって、店を続けるのがしんどくなって。去年のうちには閉店を決めてたんですけど、閉店するにも色々準備があるんで、4月30日にしようと。いろんなことがありましたけど、終われば皆、良い思い出ですよね」。

お店で働いてきた数十年を振り返り、京子さんはそう語る。「たしかに、悩みは多かったけど、楽しさもあったね」と泰和さんも口を揃える。

「自分たちの店ですから、ある程度融通を効かせられますよね。一人では続けてこれなかったと思うけど、女房も明るいし、手助けになってくれたおかげで続けられたところはあると思います」

4月に入ってからというもの、毎週土曜日になると、常連客が声をかけあってお店に遊びにきた。かつてはヤンチャだった常連客も、大人になって家庭を築き、こどもを連れてやってきた。営業最終日にも常連客が大勢やってきて、西村さんご夫婦も輪に加わり、昔話に花を咲かせた。惜しまれつつ店を閉じた「ドライブイン峠」の玄関には、「準備中」の札がかけられたままになっている。

橋本倫史(はしもと・ともふみ)
ライター
1982年、東広島市生まれ。ライター。構成・ドキュメント担当。17年4月より「月刊ドライブイン」を刊行。18年6月にリトルプレス「不忍界隈」を創刊。<http://hstm.hatenablog.com/
【関連記事】
7500万円タワマン買う共働き夫婦の末路
コンビニの「サラダチキン」を食べるバカ
定年後に"趣味の飲食店"を始めた人の末路
"小中学校の友人"なんてクソみたいなもの
サブウェイが4年で170店舗も閉めた理由