ドライブインといえばマンガがつきもの。ドライブイン峠の本棚には、西村さんご夫婦のお子さんたちが読み終えた漫画が置かれている。

創業時、泰和さんは高校2年生だった。高校を卒業したあとは地元を離れ、広島の東洋工業(現在のマツダ)で働いていた泰和さんがお店を継ぐきっかけになったのは、母・ヤヤ子さんが倒れたことだった。

「あんまり忙しかったもんですから、母が体調を崩して入院してしまったんです。それまでも実家に帰ったときは手伝ったりしていて、一生懸命やっとる親の姿は見てたんですよ。私は長男だということもあるし、せっかくお店が波に乗ってきたところなんだから手助けしてやらんにゃあと思って、仕事を辞めてこっちに帰ってきて、店を手伝いだしたんです。それが22歳の頃ですね」

ドライブインで働き始めて10年がたとうとする頃、泰和さんに縁談が舞い込んだ。「商売に向いた子がおる」と紹介された相手は、自分よりひとまわり若い京子さんという女性だった。彼女は岩国出身で、当時は広島で働いていた。まだ23歳だった京子さんは、もう少し広島で仕事を続けたいという気持ちもあったけれど、お見合いを経て結婚を決める。

「やっぱり、最初は心細かったですよ」。京子さんはそう振り返る。

ほどなくして子宝にも恵まれたが、お店は相変わらず大忙しだった。定休日は月に一日だけ。二人は毎日のように早朝まで働いた。

西村さんご夫婦。京子さんの趣味はプロレス鑑賞で、店内には長州力が来店したときの写真が貼られている。

なぜドライブインを記録するのか

かつては多くのお客さんで賑わった「ドライブイン峠」だが、ここ数年はすっかりお客さんが減ってしまっていた。これは「ドライブイン峠」に限らず、日本各地のドライブインで同じような話を耳にする。「ドライブイン」という存在を知らない世代も少しずつ増えているだろう。

休日に家族でドライブに出かける。ドライブインはそうしたお客さんにも利用される場所だった。だが、昭和50年代に入ると日本全国にファミリーレストランやハンバーガーチェーンがオープンしてゆく。昭和57年生まれの私にとって、家族で出かけた思い出があるのはファミリーレストランとハンバーガーチェーンであり、ドライブインを利用したことは一度もなかった。