※本稿は、トーマス・ラッポルト『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』(赤坂桃子訳、飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
「ぶっ飛んだビジョン」こそが社員を結束させる
ティールは、企業ビジョンは社員のモチベーションを高める意味で重要だと考える。すぐれたビジョンの例として、彼はスペースXを引き合いに出してこう語る。
「スタートアップはカルトであるべきか? まちがったことを狂信するのがカルトだとすれば、スタートアップはカルトであるべきではありません。でも大半の人が理解していない真実をメンバーだけが深く理解するというのは、とても大事です。たとえば友人のイーロン・マスクのスペースXは、『15年以内に人間を火星に移住させる』という、ぶっ飛んだビジョンに動機づけられています。ぶっ飛んだビジョンこそが、我々はその他大勢とはひと味ちがうぞという自覚をメンバーに与え、結束を高めるんです」
スタートアップを成功させることは、マッターホルン登攀と似ている。人は頂上に立つというビジョンを持っているが、下の渓谷にいる自分は小さな点にすぎない。頂上に立つまでには多くの予期せぬこと、危険、不自由がある。ティールはこの「マッターホルンのイメージ」を頭の中に持つべきだと考える。モチベーションを高める大きなビジョンがあったからこそ、未経験ではあるが優秀で熱心な「登攀者たち」を成功に導くことができたのだ。
ペイパルに関するティールのビジョンは壮大だった。あるときティールは社員にこう語っている。
「僕らは偉大なゴールをめざす道に立っている。ペイパルに対する需要はケタ外れだ。この世界のすべての人間が、支払い、取引し、生きるためにカネを必要としている。紙幣や硬貨は時代遅れであるだけじゃなく、不便な支払い方法だ。落とすことも、なくなることも、盗まれることもある。21世紀の人間には、どこにいても携帯端末やインターネットで手続きできる、快適で安全なカネが必要なんだ」
国家権力から「マネー」を解放せよ
数世紀前から、貨幣は成長のための潤滑剤であり、権力者がほしいままに利用していた。90年代半ばの経済政策と通貨政策は、ティールにとって格好の追い風となった。1997年にアジア通貨危機が起き、その翌年にロシアが経済危機におちいったのち、大手ヘッジファンドのロングタームキャピタルマネジメント(LTCM)が破綻。ロシアは低い石油価格のために支払い能力に問題が生じ、国際的な信用を失った。その結果が高いインフレ率と通貨切り下げだ。勝者はオリガルヒ(新興財閥)だった。彼らはエネルギー企業・原料企業の経営で莫大な資産を築き、それを国外に送金して安全な通貨に換えることができたからだ。
こうした国々の庶民は、ティールに言わせれば「八方ふさがり」で、必死で倹約したカネを腐敗政権から守ることができない。だが、ペイパルならこの状況を変えられる。
「将来、僕らがアメリカ国外でサービスを提供し、インターネットが人口のすべての階層に普及するようになったら、ペイパルによって世界中の人々がかつてなかったほど直接的に通貨をコントロールできるようになる。腐敗した政府が国民の財産を盗んだりすることは、まず無理だ」