「笑福亭鶴瓶は“スケベ”である」
このアイコンを見て、誰のことかわからない人もいないでしょう。
現在、「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK)をはじめ、「ザ!仰天ニュース」(日本テレビ)、「きらきらアフロ」(テレビ東京)などのテレビ番組、さらにラジオ、ドラマ、映画、落語と縦横無尽に活躍。老若男女に愛されている「国民的芸人」が、笑福亭鶴瓶師匠です。
しかし、いつから鶴瓶師匠は「国民的芸人」と呼ばれるような存在になったのか――そう聞かれると、困ってしまう人も多いのではないでしょうか。
関西では、1972年の入門直後からラジオやテレビで活躍していたとしても(アフロヘアーにオーバーオール!)、全国放送でその姿を見かけるようなったのは、1987年から2014年までレギュラー出演した「笑っていいとも!」か、それとも「鶴瓶上岡パぺポTV」か……。
これだけの存在なのに、意外とその来歴が知られていない――。
そんな疑問に答えてくれるのが、「てれびのスキマ」の名でも知られるライターの戸部田誠による『笑福亭鶴瓶論』です。生い立ちから結婚、反骨の若手時代、東京進出、タモリ・たけし・さんま・中居との交遊、落語への“愛”など、笑福亭鶴瓶師匠の長く曲がりくねった芸人人生をひもといています。
しかしまだ疑問が残ります。はたして鶴瓶師匠のどこが凄いのか? これについては議論が分かれるところでしょうが、『笑福亭鶴瓶論』では、ズバッとひとことで言いあらわしています。
「笑福亭鶴瓶は“スケベ”である」――。
それが彼の芸人としての凄みであり、人生哲学であり、老若男女に愛される理由でもある。その“スケベな魅力”の一端を『笑福亭鶴瓶論』を抜粋しながら、ご紹介したいと思います。(新潮新書編集部 金寿煥)
※以下は戸部田誠『笑福亭鶴瓶論』(新潮新書)の第1章、「鶴瓶とは“スケベ”である」からの抜粋です。
「どこがおもろいねん」で生き残る
「“べえ”が足りないのよ」
久々に笑福亭鶴瓶の落語会に訪れた糸井重里は開口一番そう言った。
「べえ」とはもちろん笑福亭鶴瓶のことだ。「べえ」のエキスを浴びると元気になるのに、それが足りない。そんな意味をこめた発言だろう。糸井重里にとって笑福亭鶴瓶はそういう存在なのだ。
ちなみに言うまでもないが、鶴瓶は「つるべ」であり、「つるべえ」ではない。
だが、やっぱり「べえ」のほうがしっくりくる。
そこには鶴瓶の鶴瓶たる所以が隠されている気がする。