都民ファーストの圧勝で終わった東京都議会議員選挙。

当選した新人39人のうち、25人は元トライアスロン選手や元アナウンサー、シンガーソングライターなど議員経験ゼロの転身候補でした。

いまからちょうど10年前、芸人から知事への転身として、日本中から注目を集めていた人物がいました。

宮崎県知事を務めた東国原英夫氏です。

プレジデント 2017年7月31日号発売中!特集は「人を動かす黒い心理学」です

東国原さんは大学卒業後の1982年にビートたけしの一番弟子になり、のちの「たけし軍団」では最大60人の大所帯を仕切るリーダーとしてお笑い界で活躍します。その後、スキャンダルによる自主謹慎の後、2007年に故郷である宮崎県知事選に出馬して初当選。流行語大賞にもなった「どげんかせんといかん」の精神で、数々の県政改革を断行していきます。任期終了後の12年には日本維新の会から衆議院議員選挙に出馬し、国政に進出。翌13年には議員を辞職しますが、現在もメディア出演・講演会などで全国を飛び回る忙しい日々を送られています。

今回はそんな東国原氏にインタビューをお願いしました。テーマは「人の動かし方」。芸人と公務員、そして国会議員。異なる世界で生きる、価値観の違う人たちを、どのようにして動かしてきたのか。

企画の説明を終えると、東国原さんは迷いなくこう話しはじめました。

「たけし軍団が一番大変でしたね」

予想外の回答でした。はじめて政治家になった知事時代、県議会・県庁・関係各所とのやりとりが困難だっただろうと想像していたからです。

理由を尋ねると、こう教えてくれました。

たけし軍団には採用試験がなく、ビートたけしを慕って変わり者がどんどん集まってきた。芸能界で一発当てようと入ってくる者、自分が一番面白いと自信を持ってくる人、はたまた芸能界にいたいだけのモチベーションの低いメンバー……。そんな彼らに規律を守らせ、軍団として空気を読めるように指導するのに苦労したと。そして、そこで学んだ人身掌握術がその後の政治活動にも大いに役に立ったというのです。

宮崎県知事就任時、東国原さんは談合の温床になっていた指名競争入札を一般競争入札に変えようと奮闘します。しかし一般競争入札にするには、指名競争入札でそれまで利益を享受していた人たちとのつながりを断ち切らなければいけません。県内の建設・土木業の人たちからは猛反対にあったそうです。そこで、東国原さんが改革を進めるためにある行動に出ます。

芸能界と地方自治、そしてビジネス。価値観の異なる相手を動かすための共通の極意とは――。

「プレジデント」7月10日発売号の特集では、東国原さんをはじめ、6人の有識者の方に「場面別・人付き合いの高等テクニック」を聞いています。初対面の挨拶で相手の心をつかむ方法や、商談で相手の本音を読み取るワザなど明日から使えるものばかりです。ぜひ手にとってお読みください。

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