労働との「適切な距離感」とは

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

「労働」についても、そのような距離の取り方ができるといいんだと思います。労働者からいきなり生産者や投資家になっても、それこそ幸せになれるとは限りません。向き不向きもあります。しかし、仕組みによってつくられた役務としての労働を、生活のなかにどのように取り入れるかを、自分なりに考えるということが大切です。

短時間労働は、長時間労働の下位互換ではありませんし、「スローキャリア」なるものが、バリバリの人生の下位互換になるわけでもありません。それは、選択と個性の問題のはずです。自分の時間や生活を大切にしたいのであれば、仕事のボリュームや重要度を絞ればいい。もちろん、それによって会社内での昇進などは遅くなるかもしれませんが、人生のステップアップが遅くなるわけではありません。その人なりに、賢く労働しているだけなのです。

言い換えれば、労働者がそこに自分の生活を取り入れ、「生活者になる」ということかもしれません。「生活者」と言われると、なんだか急にぼんやりしたイメージしか持てなくなってしまいます。もしかするとそこに、まだまだ僕たちの人生をおもしろくしていく余地が残っているのかもしれません。

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