コントロールできない自分
経済的に成熟した現代日本に生きる僕たちは、所得や資産の絶対的な基準よりも、まわりとの相対的な立場や「比較」に意識を奪われがちです。仮に、高所得で社会的に憧れの仕事に就いていたとしても、「同期はもっと活躍している」とか、「僕はこれでいいのだろうか」といった悩みに青天井でつきまとわれます。
そんな悩みにいつまでも振り回されてしまうのは、自分の内面にコンプレックスなるものを持っているからです。コンプレックスは誰もが持っています。そして、このコンプレックスの問題を理解しない限り、いくら稼いで社会的な成功を手に入れても、なかなか幸せにはなれないようです。つまり、そんなややこしい環境の中で幸福を手にするためには、「お金」や「成功」なんかよりもはるかに、コンプレックスの方が重要なテーマになると思うのです。
自分の中身は「コントロールできない部分」の方が多い
そもそも「コンプレックス(complex)」とは、「複合」や、「複雑な」「ややこしい」という意味の言葉です。いろいろな映画会社の作品を同時に上映する複合型映画館のことを「シネマコンプレックス」と呼びます。それと同じで、「自分」の中には、奥に潜むいろんな人格や感情が複雑に混じり合って存在していることから、心理学や精神医学の用語として「コンプレックス」が使われるようになりました。
なぜ「自分」の中に、いろいろな人格や感情が潜んでいるのか。河合隼雄さんの名著『コンプレックス』(岩波新書)によると、「自分」をつくる要素の中には、「コントロールできる自分」の他に「コントロールできない自分」がいて、実は「自分」の大部分を占めるのは後者なのです。
しかし多くの人は、このわずかな「コントロールできる自分」を自分自身であると思って生活しています。そして、やっかいなことに、自分をコントロールして理想的に振る舞っているつもりでも、ふとした時に「コントロールできない自分」が発動してしまうのです。それを自覚できていないことも多く、「なぜか無意識にやってしまった」というようなことが頻繁に起こるのです。
「コントロールできない自分」は勝手に動きだして感情や行動を起こしてしまうので、「そんなのは自分じゃない」といって、自分の一部とは全く認めようとしない人もいます。ところが、周りの人たちからすれば、コントロールできているかどうかという境界は関係ありません。全ての部分が「その人」であるように見えますから、自分の理想と他者からの認識に大きなズレができてしまうのです。しかも、この「ズレ」について指摘されても、「私はそんなつもりじゃないのに!(本人は本当にそう思っている)」といって話が噛み合わず、関係が険悪になってしまうこともよくあります。
また、職場などの役割分担において、自分自身でちゃんと考えて必要な条件や立場を交渉したつもりでも、コントロールできない部分も含めた「実際の自分」に適したものにはなっていないことが多く、自分の意図に反して嫌われ者ややっかい者になってしまうこともあります。