「労働者のために」は、誰のため?

「働き方」を改革するには、労働者自身が、自分の人生におけるそのあり方を見直すしかありません。そもそも「労働者」というのは、世の中のシステムをつくっている側や資本家側からすれば「非支配者」を指す言葉になっています。もちろん、いい支配システムを選択し、その運用の中で生きることは賢い選択ですが、あくまで「労働者」という概念は、社会的に構築された機能的な仕組みの一部です。

これは、「消費者」という言葉も似ていると思います。だから、「労働者のために」とか、「消費者の皆さんのために」なんていう言葉は、なんかバカにされているような気分になるのです。それぞれの機能的なシステムを担っている側が、よりよいシステムの運用のためにチューニングしているにすぎないのですから。

ただし、システムが善意によって運用されつづければ、僕たちは「労働者」や「消費者」として一定の安全や幸せを手に入れることができます。戦後の経済成長期には、非常に賃金も安く、今では考えられないほどの危険で厳しい職場もたくさんあったようです。それでも、それぞれのシステムに適応することで、今日よりも明日豊かになれる。このような時代は、「よりよい労働者」という立場を得られることが喜ばしいことでした。

しかし、いずれどんなシステムにも限界がきます。なにも、みんながシステムから飛び出して、独立しろとか、労働をやめろ、と言っているわけではありません。労働者自身が、自分の人生における「労働」や「働く」ということの意味や価値を、立ち止まって考えなおすべき時が来たんでしょう。それが本当の「働き方改革」なんだと思います。