孫正義と幹部たちのやりとりの中には、無意識のうちに、さまざまな心理学のテクニックが盛り込まれている。その「言葉力」の中身を、ひとつずつ紐解いてみよう。
口に出していると理想は現実化する
孫さんの話し方で特徴的なのは、ソフトバンク執行役員 青野史寛氏や同取締役常務 藤原和彦氏に対して使った「ビジョンコミュニケーション」と呼ばれる手法です。これは最近のビジネスシーンで、特にリーダー論の文脈でよく紹介されます。「ビジョンは抱いているだけでは伝わらない。部下や周囲に、口に出して伝えてはじめて意味を持つ」という考え方です。かつて「豆腐を一丁、二丁と数えるように、1兆、2兆の会社にする」と公言したのは、まさにそれでしょう。
元衆議院議員の嶋 聡氏を登用した理由も、そこにありそうです。政治家は国家の未来というビジョンを語る仕事ですから、「ビジョンコミュニケーション」の能力は長けている。つまり、腹心である嶋氏が孫さんと一緒にビジョンを語れば、孫さん一人よりも伝わりやすい。嶋氏の登用には、人脈を活かした対外的なロビー活動だけでなく、ビジョンコミュニケーションを促進する目的があったのかもしれません。
その嶋氏は「10年以内にNTTドコモを抜く」という孫さんの言葉に心を動かされたそうですが、これは「フレーミング(枠組み)」をうまく使った方法です。政策提言に置き換えると、「いまの政府は××がダメだ」と異議を唱えるばかりの政治家より、「政府の対応が遅れている××を実現します」と訴える政治家のほうが支持を集めやすい。前者はネガティブ・フレーミング、後者はポジティブ・フレーミングと呼ばれます。「大ボラ経営」といわれるほど、新規事業を次々に「やりましょう」と宣言する孫さんは、フレーミングの名手ですね。
ポジティブなことを口に出すのは大切なことです。「内言語法」は、こうした自己暗示のひとつです。
また孫さんが、「過去ではなく未来を重視して会社の完成形を磨け」とソフトバンク取締役常務 藤原和彦氏に伝えたやり方は、「目標設定理論」に引きつけて説明することができます。
実験によれば、被験者に「思い切り高く跳んでください」と指示した場合、何もない状態よりも、バーを置いた状態のほうが、高く跳べるのです。このとき跳躍力はバーの高さが高いほど伸びます。つまり、少し無理な目標を設定したほうがよい結果が出せるのです。
孫さんはこうした心理学の手法を無意識に活用しているようです。ソフトバンクテレコム取締役専務 今井康之氏が遭遇した「会議中にトイレに行く」のは「機能的固着」を打破するよい方法でした。これは「環境コントロール法」と呼ばれるものです。こうした気分転換は、実験によると2分程度で十分に効果がある。あまりに長時間の休憩は逆効果と言えます。
さらに孫さんは「見る夢の6割は事業のことだ」とも話しています。これは心理学における「水路付け」といえます。一度水路ができると次第にほりが深くなるように、一つのことを反復すると行動や習慣が固定化されます。仕事という一点に水を流すために、他をせき止めているのでしょう。