メディアではなかなか取り上げられないのが、今回の大震災に対する宗教団体の「貢献度」だ。別表にある通り、大手教団は多くの寄付、物品の提供を行っている。阪神大震災時にも、施設を避難所として開放(創価学会等)したり、教団信者がいち早く現地入りして支援活動を行った(真如苑等)実績がある。
教団自身が寄付するケースや信者に対して募金活動を呼びかけるパターン等、スタイルは様々だ。寄付の行き先としては、地方自治体に直接送られるケースが多い。例えば、今回の創価学会の義援金の内訳は、宮城県、仙台市、岩手県、福島県、茨城県、千葉県に、それぞれ1000万~1億5000万円となっている。
被災地域では、施設の崩壊・流失、信者の被害など、教団自身の痛手も多大だ。一義的にはこうした状況に手を差し伸べなければならないが、今回、多くの教団の初動は早かった。
例えば、真如苑では、阪神大震災直後に結成した緊急災害時のボランティアグループSeRV(サーブ)の先遣隊4チームが13日には現地入り、被災地域の状況やボランティアの受け入れ体制を確認している。平時から、こうしたボランティア団体を組織している教団は多い。
しかし原発事故が深刻化する中、宗教団体がどのような次の一手を出すのか、阪神大震災とは違ったレベルの対応が求められている。被災地に人、金、モノを投入し続けている宗教団体そのものは、災害ボランティアのために組織されたわけでもない。信者以外の人々をどう救うかについて議論は起きる。
宗教法人は平時から「ボランティア活動」「教育基金」等々で社会貢献してきたが、それ自身、本来の宗教活動とは別次元のものだ。もちろん教団そのものの震災に対する寄付は、規模(信者数)が大きい教団ほど金額が増えるのは当然だ。しかしそれと信者個々人が進んで(宗教団体以外へも含む)寄付行為を行う点は、分けてみる必要がある。
言い方を換えれば、今、宗教法人は「人の救い」そのものの真価が問われている。人、金、モノの状況は少しずつ改善されよう。だが「人の心」にぽっかりあいた穴を誰がふさぐのか? 阪神大震災をはるかに上回る規模の被害に、宗教団体の対処も従前通りにはいかない。
※すべて雑誌掲載当時