かつて左翼系の政治家が掲げていた北欧型の高度福祉社会では介護はコミュニティーの仕事として定義されている。実際、スウェーデンやデンマーク、フィンランドに行って視察してきたが、在宅介護はほとんどない。日本も家族に最期まで面倒を見てもらうことを前提としないライフスタイルを国が提案して、またそれを可能にする施設づくりと人材育成に真剣に取り組むべきだと思う。
ところで先般、列車にはねられて死亡した認知症の男性(当時91歳)の遺族がJR東海から損害賠償(約720万円)を求められていた訴訟の最高裁判決が出た。認知症男性の妻(当時85歳)にも子供にも責任はないとして損害賠償を認めないという判決内容で、それはよかったのだが、判決趣旨には疑問が残った。
問題は子供の監督責任についてで、20年以上同居していなかったことや事故直前の訪問状況などを考慮した結果、監督責任はないというのだ。ということは、裏返せば同居して逐一面倒を見ていた場合、監督責任が生じる可能性が高いことになる。
家族が一緒に住んで介護するのは不利、という考え方を助長しかねず、よくない(あるいは中途半端な)判例だと私は考える。
明るみに出た現代の姥捨て山の実態
09年に群馬県渋川市にある高齢者施設「静養ホームたまゆら」で、入所者10人が死亡する火災事故があった。犠牲者の多くは都内墨田区で生活保護を受けていた高齢者で、行政の紹介で当該の施設に身を寄せていた。身近な特養老人ホームは何年も入居待ち状態で入れず、お金のかかる有料老人ホームにも入れない。そうした低所得の高齢者が「たまゆら」のような近県の施設に多数いること、夜間はスタッフが1人しかおらず火災などのときにはとても運び出せない、などの実態が事故後の調査で明らかになった。この火災事故によって現代の姥捨て山の実態が世に知らしめられて、介護施設の圧倒的な不足と介護現場の慢性的な人手不足の現実が改めて浮き彫りになった。
こうした問題に正面から向き合うなら、国は大きく2つのことをやらなければいけない。一つは移民である。フィリピンやインドネシア、タイなどから介護福祉士の資格を持っている人材を迎え入れる。必要最低限の日本語を教えて仮免許を与え、3~5年の実務経験を積ませたうえで最終試験を行って、パスすればグリーンカードを与えて日本に永住できるようにする。