【田原】電力ビジネスはどうだったんですか?

【松田】うまくいかなかったです。民間電力会社のプランなら電気料金が数%安くなりますが、その程度のメリットでは、東京電力さんから電力を供給されるという安心感にかなわなかった。半年やってもほとんどお客さんが取れず、あと1カ月で資金が底をつくというタイミングでこの事業は断念しました。とりあえず営業力はあったので、その後は携帯電話や求人広告を売ったりしながら食いつないでいました。

【田原】その後は?

【松田】銀行員時代の先輩の紹介で、ある物流ホールディングスの新規事業を手がけることになりました。ソフトバンクから回線を仕入れ、それに独自のサービスをつけて提供するMVNO事業です。この仕事は事業をつくってスケールさせるという点で、とても勉強になりました。子会社の責任者としてゼロから事業を立ち上げて、初年度の売り上げは800万円。翌年は3億円。さらに次の年は10億円近くというところで結局は辞めてしまいましたが。

【田原】どうして辞めたの? うまくいっていたのに、もったいないじゃない。

【松田】子会社の責任者といっても、自分で株を持たない雇われの立場でしたからね。やりたいことがあっても親会社の意向でできなかったりして、俺は本当にこんなことがやりたかったのか、いや違うだろうと。

田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。
(村上 敬=構成 宇佐美雅浩=撮影)
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