百貨店から総合スーパーへ

流通業の近代史は、まさに戦国史。巨大な企業の栄枯盛衰が他の業界より極端に見られます。たとえば1970年代から90年代にかけて権勢を誇ったダイエーも、2015年1月1日付でイオンの完全子会社となり、ダイエーの名前も将来的になくなる予定です。

では、1900年代からの小売業の歴史を振り返ってみましょう。売上高トップ企業の変遷をたどると、百貨店から総合スーパー、そしてコンビニへという流れになっています。

かつて小売業界トップの地位にあった百貨店は1904年、三井呉服店が社名を三越に変更し、「デパートメントストア宣言」を発したのが始まりです。百貨店は当初、上流顧客を対象にしていましたが、関東大震災をきっかけに大衆化を図り、成長を遂げました。さらに29年に鉄道会社である阪急が梅田に百貨店を開業し、ターミナル百貨店が誕生。しかし、60年代に入るとスーパーや専門店との競合が始まり、ついに72年には三越がダイエーに年間売上高で追い抜かれました。

少し遡って、日本におけるスーパーは、53年に紀ノ国屋食料品店がセルフサービス方式を導入したのが始まりです。60年代に入ると、商品ライン拡大やチェーンストア方式の導入によってダイエーやイトーヨーカ堂などの総合スーパーが登場します。

ダイエー成長の背景には、生活必需品を大量購入し低価格で販売する「よい品をどんどん安く」の業態が、需要が旺盛な高度成長期の生活者に必要とされたことがあります。従来の小売業は各店舗別に担当者が仕入れを行っていましたが、ダイエーはチェーンストア理論とセントラルバイイング方式を導入し、原始的な調達方法を本部の力が機能するやり方に変えたのです。百貨店や専門店より価格を安くできるようになり、紳士服や学習机など販売量で日本一になるカテゴリーも存在しました。