「情熱の人」との早すぎる別れ

神様の下に呼ばれた上田昭夫さんは家族と仲間を愛していた。とくにラグビー仲間を。だからだろう、通夜に約1300人、葬儀ミサ・告別式には約400人もの人々が駆けつけ、早すぎる死を悼んだ。炎天下の出棺では、せみ時雨の中、悲しみに満ちた慶大ラグビー部の部歌がOBたちによって歌われた。

「もう涙が出てしまって……」と、女子7人制ラグビーの日本代表候補、山田怜選手は目に涙をためた。27日、東京都内の教会で営まれた葬儀ミサ・告別式。ひつぎを乗せた霊きゅう車に向かって頭を深々と下げた。

山田選手はTKM(戸塚共立メディカルラグビークラブ)の中心選手。一昨年まで、上田さんの指導を受けていた。クラブを離れた上田さんから、時々、メールをもらっていたそうだ。「TKMを辞めてしまったけれど、最後まで応援できなくてスマナイって。だけど、強い気持ちを持っていれば、代表のコア(中心)メンバーに入っていけるから、ラグビーへの情熱は忘れるな、って」。涙声だった。

上田さんは「情熱の人」だった。慶応幼稚舎時代にラグビーを始め、慶大ではラグビー部の主将を務めた。身長160cmの小柄なからだでスクラムハーフを務め、「魂のタックル」も得意とした。卒業後は東京海上火災(現東京海上日動火災)に入社したが、すぐにトヨタ自工(現トヨタ自動車)に転職し、ラグビーに熱中した。

日本代表でも活躍し、現役引退後、母校慶大の監督に就任した。1985年度、33歳で慶大を日本一に導き、再び監督となった創部100周年の99年度を大学日本一で飾った。フジテレビのテレビキャスターとしても、陽気な性格と爽やかな語り口で人気を博した。ただ心は家族とラグビーにより向かっていただろう。