兼松由香(7人制ラグビー・名古屋レディースRFCヘッドコーチ)
家族の絆はつよい。白いサンバイザーのつばの裏に黒い文字らしきものがチラリと見えた。何ですか、と聞けば、「あっ。これは」と、名古屋レディースRFCの兼松由香ヘッドコーチ(HC)は隠そうとした。
しつこく聞けば、32歳の「ママさんラガー」は照れながら見せてくれた。黒マジックでこう、書かれていた。<かあちゃんとあーちゃん、いつもいっしょ>と。兼松HCが小声で打ち明ける。
「遠征に出る時はこれ、いつもかぶっているのです。文字は自分にしか見えないようにしていたんですけど……。いつも、娘と一緒にがんばっているつもりなのです」
娘とは、7つの明日香ちゃんである。兼松HCの鉄火のごときラグビー人生は、最愛の家族と共にある。大けがを負って何度、現役引退を考えたことか。その度、「がんばれ」と背中を押してくれたのが、夫だった。娘の存在だった。
「ラグビーをやめるタイミングは数え切れないほどあったんです。でも、ワタシ、自分ひとりじゃないので、簡単に“やめる”なんて言えないのです」
先の女子7人制ラグビーの国内初シリーズの横浜大会でのことだった。兼松HC率いる名古屋レディースRFCは初めて同シリーズに参加した。他チームとの力の差はいかんともしがたく、プレートトーナメント1回戦でRKU龍ヶ崎に完敗した。
選手兼HCの兼松は6月の日本代表候補の豪州遠征で左ひざのじん帯を負傷し、プレーはできなかった。でも生来の負けん気が頭をもたげる。
「けがは順調に回復して、ランニングは全然できないわけじゃないんです。もちろん、試合には出たかった。スパイクを持ってこなくてよかったと思います。持ってきていたら、“やっぱり出ます”と言いだしていたでしょ。目の前を相手選手が走ったら、本能的にタックルにいきたくなりました」
愛知県出身。5歳でラグビーに出会い、楕円球とともに青春を過ごした。まだ女子ラグビーの苦難の時代。愛知教育大を卒業後は名古屋で小学校の非常勤講師をしながら、名古屋レディースで練習に励み、15人制日本代表、セブンズ日本代表として活躍してきた。
ワールドカップ(W杯)セブンズ2009アジア地区予選では強豪カザフスタンを倒す原動力となり、初開催となるW杯セブンズの出場権を確保した。だが、そのW杯の1週間前の練習で、右ひざの前十字じん帯断裂の大けがを負ってしまう。悪夢だった。
引退を考えながらも、夫の励ましを受け、2013年のW杯セブンズを目指した。でもまたも右ひざの半月板を負傷。小学校の非常勤講師を辞めてリハビリに専念し復活したが、最後の最後にW杯セブンズのメンバーから外された。が、勝負魂はまだ、衰えない。
セブンズ日本代表は昨年、アジアシリーズで優勝し、ことしのワールドシリーズで7位と健闘した。着実にリオ五輪への階段を上がっている。
「ワタシも日本が階段をのぼっているなあと感じています。そこにいれたことで感動もしてきました。次は9月のコア昇格決定戦。オリンピックまでの過程が大事なのです」
毎日が充実しています、と専業主婦は笑う。「チームは家族」「周りを驚かせてやろう」が口ぐせである。
「とくにセブンズは大家族と同じようなものです。みんなで何でも言い合わないといけない。自分をさらけ出して、涙を流しながら怒ったりして、たくさんの試練を乗り越えて、強くなっていく。家族のようなチームが最後は勝つのです」
こんなベテランの存在は貴重である。兼松HCは、上昇気流に乗るセブンズ日本代表女子の「魂」である。