相川敦志(東海大望洋高校野球部監督)
縦じまのユニフォームの歓喜の輪がマウンド上にできた。ダグアウト前、その光景を見つめる東海大望洋高校の相川敦志監督の目元がゆるんでいく。涙が止まらない。
「これまで、相手チームがマウンドに集まっていく光景を見せられてきたんです。それが、ついにうちのチームが。子どもたちの喜ぶ姿を見たら、もう涙をこらえることができませんでした」
夏の全国高校野球選手権の“戦国”千葉大会の決勝である。東海大望洋は過去、決勝で3度、零敗していた。それが、この日は打ちまくって、専大松戸を13-2と圧倒した。『打撃のチーム』の面目躍如だった。
「きょうは過去の(決勝の)3試合分の点をとりましたね」
53歳の相川監督にとっては、特別な夏かもしれない。指導者としての教えをもらっていた原貢さんが5月、天国に召された。原さんは東海大相模高校、東海大と監督を歴任した名将。「豪快さの中にも緻密さがある野球をされていました」という。
「東海って、“打て、打て”“振れ、振れ”の野球ですから。原さんも昔は“打て、打て”だったのですが、10年ほど前から、“点をとれる時にはきっちりとっていけ”と。打つということを目標にしてきましたが、ワタシもスクイズなど細かいプレーもやらせていただきました」
相川監督は打撃力をアップさせるため、からだ作りから、栄養バランス、バットの振り込みを重視してきた。実は東海大望洋は野球部の寮がない。全員、自宅からの通いだ。そのため、体調管理は生徒自身に任せることになる。生徒や保護者向けの栄養学の講習会なども実施してきた。
「生徒たちの意識が高くなった。プロティンを自分で飲んだり、体重アップを図ったりするようになりました」
東京都出身。東海大浦安―東海大の野球部で活躍し、卒業の1984年、東海大浦安の野球部コーチとなった。87年4月、東海大望洋に赴任し、野球部監督になった。
10年、春のセンバツ大会に出場した(1回戦で敗退)。その後、野球部内の暴力の発覚を受け、一時、監督を退いたこともある。生徒たちと一対一の面談を続けるなど、こつこつと部の再建を図ってきた。
モットーが『栄光に近道はなし』。「頂点をとるためには近道はない。そう思って、ワタシは生徒と一緒に地道にやってきました」。メガネの奥の目はやさしい。
いざ、念願の夏の甲子園へ。
「なんとか、まず1勝をあげたい。甲子園で校歌を歌いたい。うちは豪快さもあるし、緻密さもあります。ピッチャーがしっかり投げて、野手が守って、打線がいつも通りに打ってくれれば……」
天国の原貢さんが見守る中、相川監督は“豪快&緻密な野球”で夏の甲子園に挑もうとしている。