後藤翔太(追手門学院大学女子7人制ラグビー部ヘッドコーチ)

ごとう・しょうた●1983年1月、大分県大分市生まれ。神奈川県の桐蔭学園高校より早稲田大学へ進学。2005年、神戸製鋼所へ入社。1年目にSHとしてレギュラーの座をつかみ、トップリーグ新人王を獲得。また日本代表にも選ばれ、05年のウルグアイ戦で初キャップを獲得した。12年に現役を引退。13年1月末に神鋼を退社し、13年2月、追手門学院大女子7人制ラグビー部ヘッドコーチに就任した。

夏の陽射しのもと、日焼けした女性たちが躍動する。走り、ぶつかり、ボールをつなぐ。ロスタイム。密集からうまく球を出し、つないで走って、追手門学院大学がやっと1トライを返した。

その瞬間、ライン際の後藤翔太ヘッドコーチ(HC)は両手を突き上げた。

「単純にうれしかった。3カ月の積み重ねのトライだと思います。散々泣いて、笑って……。彼女たちにやってもらいたかったのは、自分たちが持っている力をぶつけることだったのです」

よく耳にする「自分たちのサッカー」や、「自分たちのラグビー」ではない。大事なことは「自分たちの力」を発揮することである。1個のラック、1本のラン、1個のパス。それぞれが全力を出すことで、最後の最後に1本のトライが生まれたのである。

相手が、日本代表候補がずらりと並ぶ王者アルカス熊谷だった。もはや勝敗の行方は明らかだった。でも7人の力がひとつになる時、そこにチームの成長が垣間見えた。

スコアだけ見れば、5-44の完敗だった。7月20日に行われた女子7人制ラグビーの国内初シリーズの横浜大会。試合後、フィールド横の木陰に座り、後藤HCは満足そうな笑顔を浮かべた。セミの鳴き声が重なる。

「からだをぶつけ合って、痛さとか、苦しさとかを、みんなで乗り越えていく。その中で、ひとり一人が成長する過程こそが、ラグビーのほんとうの楽しさだと思うのです。彼女たちは何にでも一生懸命。ぼくは毎日、感動しているんですよ」

大分県大分市出身。ラグビーは小学校2年生のとき、始めた。子ども時代からのモットーが「できるまでやればできる」だった。小柄だったため、周りになかなか勝てない。ただあきらめなければ、いずれ勝てるだろうと信じたのだ。いわば人生哲学。

「できない理由は、できるまでにやめるからです。その時負けても、10年後とかに勝てればいいと思ったのです。勝つまでやったら勝てるだろうって。ははは」

神奈川・桐蔭学園高、早稲田大でスクラムハーフとして活躍し、トップリーグの強豪、神戸製鋼に進んだ。日本代表にも選ばれた。試練は入社4年目。試合中に脊髄損傷の大けがを負い、手術に踏み切った。プレーは半年間、できなかった。

「いろんなことを受け入れられるようになりました。それまでは自分の価値観がすべてでした。でもいろんな人がいて、いろんな考えがあるなと思えるようになったのです」

現役引退。昨年2月、迷った挙句、神戸製鋼を退社し、発足する追手門学院大学女子7人制ラグビー部のHCとなった。客員教授の大畑大介氏のもと、プロコーチとして奮闘する。現在、部員が1年生11人、2年生のマネジャー2人。

部員からの信頼は絶大だ。試合で力を出せなかった初日の夜のミーティングで後藤HCが「今までで一番悔しい」と本音を漏らすと、ほとんどの部員が感激の涙を流した。

目標が日本一、そして五輪選手を育てること。「では夢は?」と問えば、後藤HCは真顔で言う。31歳の目がとてもピュア。

「もちろん家族は大事ですけれど、僕にとっては彼女たちも大切なんです。彼女たちにラグビーをしてよかったな、ここで一緒に練習をしてよかったな、と思ってもらえるようになってほしい。夢や思いは唯一、彼女たちに幸せになってほしいんです」

ラグビーとは、人間と人間とが全人格の優劣を競うスポーツである。指導者もまた、しかりか。後藤HCは全人格をかけて、女子部員たちの人作りに挑むのである。

(松瀬 学=撮影)
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