後藤翔太(追手門学院大学女子7人制ラグビー部ヘッドコーチ)
夏の陽射しのもと、日焼けした女性たちが躍動する。走り、ぶつかり、ボールをつなぐ。ロスタイム。密集からうまく球を出し、つないで走って、追手門学院大学がやっと1トライを返した。
その瞬間、ライン際の後藤翔太ヘッドコーチ(HC)は両手を突き上げた。
「単純にうれしかった。3カ月の積み重ねのトライだと思います。散々泣いて、笑って……。彼女たちにやってもらいたかったのは、自分たちが持っている力をぶつけることだったのです」
よく耳にする「自分たちのサッカー」や、「自分たちのラグビー」ではない。大事なことは「自分たちの力」を発揮することである。1個のラック、1本のラン、1個のパス。それぞれが全力を出すことで、最後の最後に1本のトライが生まれたのである。
相手が、日本代表候補がずらりと並ぶ王者アルカス熊谷だった。もはや勝敗の行方は明らかだった。でも7人の力がひとつになる時、そこにチームの成長が垣間見えた。
スコアだけ見れば、5-44の完敗だった。7月20日に行われた女子7人制ラグビーの国内初シリーズの横浜大会。試合後、フィールド横の木陰に座り、後藤HCは満足そうな笑顔を浮かべた。セミの鳴き声が重なる。
「からだをぶつけ合って、痛さとか、苦しさとかを、みんなで乗り越えていく。その中で、ひとり一人が成長する過程こそが、ラグビーのほんとうの楽しさだと思うのです。彼女たちは何にでも一生懸命。ぼくは毎日、感動しているんですよ」
大分県大分市出身。ラグビーは小学校2年生のとき、始めた。子ども時代からのモットーが「できるまでやればできる」だった。小柄だったため、周りになかなか勝てない。ただあきらめなければ、いずれ勝てるだろうと信じたのだ。いわば人生哲学。
「できない理由は、できるまでにやめるからです。その時負けても、10年後とかに勝てればいいと思ったのです。勝つまでやったら勝てるだろうって。ははは」
神奈川・桐蔭学園高、早稲田大でスクラムハーフとして活躍し、トップリーグの強豪、神戸製鋼に進んだ。日本代表にも選ばれた。試練は入社4年目。試合中に脊髄損傷の大けがを負い、手術に踏み切った。プレーは半年間、できなかった。
「いろんなことを受け入れられるようになりました。それまでは自分の価値観がすべてでした。でもいろんな人がいて、いろんな考えがあるなと思えるようになったのです」
現役引退。昨年2月、迷った挙句、神戸製鋼を退社し、発足する追手門学院大学女子7人制ラグビー部のHCとなった。客員教授の大畑大介氏のもと、プロコーチとして奮闘する。現在、部員が1年生11人、2年生のマネジャー2人。
部員からの信頼は絶大だ。試合で力を出せなかった初日の夜のミーティングで後藤HCが「今までで一番悔しい」と本音を漏らすと、ほとんどの部員が感激の涙を流した。
目標が日本一、そして五輪選手を育てること。「では夢は?」と問えば、後藤HCは真顔で言う。31歳の目がとてもピュア。
「もちろん家族は大事ですけれど、僕にとっては彼女たちも大切なんです。彼女たちにラグビーをしてよかったな、ここで一緒に練習をしてよかったな、と思ってもらえるようになってほしい。夢や思いは唯一、彼女たちに幸せになってほしいんです」
ラグビーとは、人間と人間とが全人格の優劣を競うスポーツである。指導者もまた、しかりか。後藤HCは全人格をかけて、女子部員たちの人作りに挑むのである。