五島卓道(木更津総合高校野球部監督)
北から南から、夏の甲子園出場高校が名乗りをあげる。戦国千葉からは、木更津総合である。胴上げに酔った後、59歳の五島卓道監督はダグアウトで安どの表情をつくった。
「よく勝ったなあ。いやもう、信じられません。野村監督(克也=元プロ野球楽天監督)が言うところの“勝ちに不思議の勝ちあり"でしょうか」
地区大会の決勝戦。QVC千葉マリンフィールドはほぼ満員となった。打線が序盤の3点差をしぶとく逆転し、連投の千葉投手が粘り強いピッチングで習志野の反撃を抑えた。6-5で逃げ切り、千葉大会としては15年ぶりの2年連続甲子園出場を決めた。
五島監督は殊のほか、選手の意志を大事にする。この日朝、千葉に「投げられるか?」と聞いた。「投げさせてください」。その言葉を聞き、千葉の顔色を見て、先発マウンドに送り出した。
「疲れた顔はしていなかった。気持ちで投げてくれました。勝因は千葉の粘りに尽きます。点数を取られそうなところでも踏ん張って、踏ん張って……。忍んでおけば何かいいことがあるのかな、そう思っていました」
早稲田大学卒業後、川崎製鉄神戸に入社し、28歳まで野球部でプレーした。その後、営業マンとして、トップクラスの成績を収める。が、乞われて、千葉・暁星国際高校の野球部監督を5年間務め、98年、木更津総合高校の監督に就いた。
暁星国際高校時代の教え子には、巨人のスラッガー、小笠原道大がいる。小笠原は高校時代、1本の本塁打も打てなかった。でも練習した。4年前、小笠原の雑誌取材で、五島監督に話をじっくり聞いたことがある。
「下手くそだった。でも努力する才能があった。帰るのはいつも最後。寮でも素振りを繰り返していた」と漏らした。
じつは小笠原を社会人野球の名門、NTT関東に推薦する時、ウソをついた。「通算30本もホームランを打った選手ですから」。そのウソがなければ、たぶんプロ野球の小笠原はなかった。そんな監督だったのだ。
五島監督は時に厳しく、時にやさしく、生徒たちを指導する。ただ基本重視は変わらない。「とにかくバットを振れ、(素振りで)スイングをしろ」と言い続ける。
昨夏の甲子園は初戦で大阪桐蔭に敗れた。「(組み合わせ)抽選がすべて」と笑った。
「ことしは、1つでも上に勝ち進んでいきたい」。
メガネの奥、眉間のしわに辛苦の歳月が刻み込められている。