勝負強い監督、接戦に弱い監督……、監督の発想は、すべて現役時代のポジションから湧き出ている。歴代監督をポジション別に徹底分析する。

一塁手出身監督の「攻撃野球」

一塁手というのは強打者が多いポジションだけに、監督になると、「攻撃野球」をめざす傾向がある。自分のバットで多くの勝利をものにしてきた誇りが、「攻撃野球」に向かわせるのである。典型的なのが、巨人の監督時代の王貞治である。

監督・王の日本シリーズ初陣は、1987年。相手は森西武だった。

「日本シリーズは4勝1敗で勝ちたいね。そうすれば、後楽園球場で胴上げができる」

後楽園球場は、この年限りで半世紀の歴史の幕を閉じ、東京ドームに生まれ変わることになっていた。王にとっては、通算868本のホームランのうち、約半数の413本を放った球場だった。

日本シリーズは1、2戦が西武球場。3、4、5戦が後楽園球場。6、7戦が再び西武球場である。

王が「4勝1敗で勝ちたいね」と語ったのは、後楽園球場のラストゲームが第5戦だったからにほかならない。

戦いに美学を持ち込んだ王は、なおも鼻息が荒かった。

「初戦から勝負をかけて、ドーンと決めちゃうつもりだよ」

王が打倒西武に自信を持ったのは、メディアから“二段クリーンアップ”と呼ばれる破壊力のある打線を持っていたからである。なにしろ、巨人には首位打者を獲得した篠塚利夫を筆頭に、3割打者が5人もいた。

篠塚利夫……3割3分3厘
吉村禎章……3割2分2厘
中畑清……3割2分1厘
原辰徳……3割7厘
ウォーレン・クロマティ……3割4毛

しかし、いざ蓋を開けると、“二段クリーンアップ”は沈黙を強いられた。第1戦こそ、7番・中畑(一塁手)の2ランなどで7対3と勝利したが、第2戦は工藤公康に3安打の完封負け。巨人は二塁さえ踏めず、0対6の完敗。第3戦は郭泰源に8安打を浴びせながら、決定打が出ず、1対2と競り負けた。

森は力説している。

「巨人打線は、3割打者が5人もいるといわれたが、小松辰雄(中日)や遠藤一彦(大洋)といった他球団のエースには二割そこそこの打率しかなかった。だから、工藤や郭には、巨人打線恐れずに足らずといったんだよ」