勝負強い監督、接戦に弱い監督……、監督の発想は、すべて現役時代のポジションから湧き出ている。歴代監督をポジション別に徹底分析する。

捕手は配球すべてを覚えている

1990年10月21日。日本シリーズ第2戦。西武監督の森祇晶は、巨人に2連勝したにもかかわらず、こういってのけた。

「外から見れば会心の勝利かもしれないが、我々は薄氷を踏む思い。2連勝で有利な展開になった? いや、シリーズは流れが変わったら、どうなるかわからない。これで、巨人とはやっとイーブンになりました」

このとき、わたしはパ・リーグの新人王を獲得した野茂英雄(近鉄)の取材で大阪の町を走り回っていた。電車で移動中、ラジオで日本シリーズの中継を聴いていて、森の肉声が耳に飛び込んできたのである。

第1戦は5対0、第2戦は9対5。いずれも、快勝だっただけに、わたしはなんて嫌味な男だろうと思った。だが、皮肉なことに、このコメントが契機になり、その後、何百回も森取材を重ねることになる。

森が西武監督時代、6回も日本一になった理由を知りたくて、彼が住む品川区のマンションに週1回通ったのは、監督を勇退した翌年の1995年のことである。

目から鱗が落ちたのは、取材が長引き、講演の仕事で名古屋へ向かう森と東京駅まで同行したときだった。品川駅でチケットを買った森は、あわただしく改札口を抜けた。わたしが山手線のホームに向かおうとすると、森は上着の裾を引っぱった。

「いまの時間なら、京浜東北線の快速電車がある。山手線より早く東京駅に着く。京浜東北線に乗ろうや」

山手線なら、田町、浜松町、新橋、有楽町、東京と各駅停車だが、京浜東北線の快速なら、田町の次が東京である。

森が京浜東北線の快速がある時間帯まで知っていたのは驚きであったが、そのおかげで「のぞみ」の発車時刻に間に合った。

「先読みと逆算」

森が負けない秘密はここにあるなと、わたしは思った。

巨人V9の司令塔だった森は、こんな捕手哲学を持っていた。

「捕手というのは、1回の先頭打者から9回の最終打者まで、配球をすべて諳んじていなければならん」

将棋指しが対局後、棋譜を見ずに初手から投了までを並べかえし、“感想戦”を繰り広げるように、森は頭の中で試合を振り返り、反省点をノートに記した。

将棋は一局あたり百数十手。野球も一試合あたり百数十球。終局をイメージし、最善手を模索する発想は同じである。