勝負強い監督、接戦に弱い監督……、監督の発想は、すべて現役時代のポジションから湧き出ている。歴代監督をポジション別に徹底分析する。
三塁手はどのポジションよりアグレッシブ
巨人監督の原辰徳の父・貢が、かつて社会人野球で鳴らした東洋高圧大牟田(現・三井化学)の三塁手だったことを知る人は少ないだろう。当時、都市対抗野球で優勝投手になり、橋戸賞に輝いた藤田元司(日本石油。のち巨人で119勝)から、センターオーバーの一撃を放ち、西鉄ライオンズからもスカウトされた逸材だった。
いうまでもなく、辰徳も巨人の三塁手で、1160試合に出場している。長嶋茂雄の2172試合に比べると少ないが、監督としての実績はすでに凌駕している。日本一の回数は、辰徳が3回、長嶋が2回である。
三塁手は「ホットコーナー」と呼ばれるように、強い打球が飛んでくるだけに、どのポジションよりもアグレッシブ、つまり攻撃的プレーが求められる。そうした特性は、選手から監督になったからといって変わるものではない。
辰徳は、選手としては長嶋に憧れたが、監督像は父・貢をお手本にしている。象徴的なシーンは、2013年6月25日の広島戦(マツダスタジアム)である。
2対4と巨人が2点ビハインドの8回表、辰徳は1イニングに2回もダブルスチールのサインを出し、いずれも成功。6対4と試合をひっくり返している。
最初は、二死一、二塁から5番・小笠原道大(一塁手。現・中日)が打席に入ったとき。二塁走者は亀井義行(右翼手)、一塁走者は坂本勇人(遊撃手)。広島のサウスポー、河内貴哉のモーションが大きいのを見て、ダブルスチールを敢行したのである。
「一か八かでした。試合の流れを変えたかったのでね」
成功し、二死二、三塁から、小笠原が四球で歩くと、6番・鈴木尚広の打席で、ピンチヒッター・矢野謙次。その矢野が殊勲のセンター前ヒットを放ち、4対4の同点になった。
再び二死一、二塁から、広島の右腕、キャム・ミコライオの隙を衝き、またもダブルスチールを仕掛け、成功。二死二、三塁から、7番・村田修一(三塁手)がライトへ二塁打を放ち、6対4と逆転したのであった。