父から受けた影響はとてつもなく大きい

試合後、辰徳は東海大相模1年夏の甲子園大会初戦に思いをはせ、土浦日大(茨城)に1対2とリードされた9回裏二死一塁のシーンを振り返った。

東海大相模の監督は、父の貢。1965年夏には三池工、70年夏には東海大相模を全国優勝に導き、名将として高校球界に君臨していた。

「(監督のおやじが)土壇場で盗塁のサインを出したんだ。砂埃が立ち、しばらくして、審判が横に手を広げるのが見えたときは、本当に衝撃的だったよ」

二盗成功が同点打を呼び、延長16回裏に3対2でサヨナラ勝ちを収めたのである。

辰徳は著書『原点』に記している。

〈僕の描く“監督像”の原点は、もう一人の「原監督」にある。……「原監督」――つまり、僕の父から受けた影響は、とてつもなく大きいものだ〉

わたしは2013年の春と夏、貢に会い、それぞれ7時間のロングインタビューを行った。夏に取材したとき、真っ先に訊いたのは、辰徳が強調する原点、土浦日大戦の盗塁であった。

「9回裏二死一塁の場面で、相手ベンチを見たら、監督が立ち上がって、この試合はいただいたとばかり、選手に道具の片付けを命じていたんだ。それで、カッとなり、盗塁のサインを出したんだよ」

貢は特徴的な大きな瞳を、さらに大きく見開き、呵々大笑した。

辰徳に英才教育を施し、三塁手に育て上げたのが、この貢である。東海大相模に入った当初、送球に難があった辰徳に、自らの体験談を語っている。社会人野球時代、根本行都(ゆきさと)監督(日本学生野球の父・飛田穂洲《すいしゅう》の愛弟子で、名古屋軍《中日の前身》の元監督)から教わった送球術だった。

「ある日、根本さんから自宅に呼ばれ、たらふくご馳走になり、お茶をぐいと飲み干したときでした。根本さんが卓袱台のそばにいた猫を指差し、『おい、原。その空になった湯飲み茶碗を猫にぶつけてみろ』とけしかけるんだな。根本さんは愛猫家でしたから、『いいんですか』と聞くと、『いいよ』という。それで、試したんだが、猫に逃げられてしまった。すると、根本さんは大笑い。『おまえ、そんなにテークバックを大きくとったら、猫が逃げるのが当たり前。肘から先をテーブルに付け、そのまま鋭く滑らせたら、必ず猫に当たる。野球も、同じ。これがスローイングの基本なんだ』。目から鱗が落ちるとは、まさにこのことでしたね」

貢はこのときのやり取りが気に入り、息子の辰徳にはもちろん、後年、孫の菅野智之(現・巨人投手)にも語っている。プロ2年目にして巨人のエースに成長した智之の投球フォームが、テークバックが小さく、フォロースルーが大きいのは、貢の教育のたまものといっていい。