クラシック音楽の二大巨頭といえば、モーツァルトとベートーヴェンだ。18世紀後半に生まれ、オーストリアを舞台に活躍したことは共通している。だが、作品の性格は正反対といっていいほど異なっている。感覚的、快楽的で軽やかなモーツァルトに対し、ベートーヴェンは哲学的、宗教的で重厚な作風を特徴とする。
クラシック初心者の場合、モーツァルトも好きだがベートーヴェンも捨てがたいという人が大半だろう。ただ、どちらの音楽により親しみを感じるかとなると明確に2派に分かれるはずだ。それどころか、ある程度クラシックに詳しくなれば、モーツァルト・ファンが途中からベートーヴェンに熱中し始めるということはありえない。
モーツァルトの音楽は、誰でも親しめる流麗なメロディを持つことが特徴だ。作曲するときも頭の中を完成されたメロディが流れ、極端にいえばモーツァルトはそれを五線譜に書きとめるだけだったろう。これに対し、刻苦勉励型のベートーヴェンは思いついたメロディを1小節か2小節ずつスケッチ帳に書きとめていった。それを変形したり、組み立てて、一つの曲を構築するのである。
両者のキャラクターの違いをわかりやすくたとえれば、日本のプロ野球人気を盛り上げた2人の名選手、長嶋茂雄と王貞治の違いということができる。感覚的でチャンスに強い長嶋選手はモーツァルト、努力と鍛錬の人というイメージの王選手はベートーヴェンだ。
2人が活躍したのは、フランス革命の大波に洗われた時代でもある。自由・平等・博愛という革命の精神に、誰もが大なり小なり影響を受けた。モーツァルトとベートーヴェンも例外ではない。
だが、革命に対する姿勢には濃淡がある。代表的なオペラに、その違いが端的に表れている。
モーツァルトの「フィガロの結婚」は、貴族社会を風刺した喜劇として知られている。原案となったボーマルシェの戯曲には、かなり過激な貴族批判が含まれている。だが、モーツァルトの手にかかると、そうした世俗批判は背景に遠のいてしまう。登場する貴族はむしろ愛嬌のある存在となり、全体としては、あくまでも楽しい歌劇に仕上がっている。
一方、ベートーヴェンの「フィデリオ」は、フランス革命の精神を真正面から取り上げている。女主人公が男に変装し、政治犯として囚われている夫を救出するという筋書きだ。この違いは、それぞれの生き方を象徴しているようで興味深い。