大震災の発生時は川奈ホテルにいた

昭和シェル石油 香藤繁常顧問

東日本大震災は、企業経営における危機管理の重要性を再認識させたといっていい。

4年前の2011年3月11日、私は企業トップの研修会で静岡県伊東市の川奈ホテルにいた。午後2時からは、小惑星探査機「はやぶさ」に関する技術者の講演だった。途中で通信が途絶するなど数々のトラブルを克服して、惑星イトカワのサンプルを持ち帰った日本の技術力の高さが語られていく。

話が佳境に入った2時46分過ぎ、大宴会場が大きく揺れた。天井のシャンデリアがガチャン、ガチャンと音を立てる。私は「これは通常の地震ではない!」と判断し、すぐに壁側に非難したことを覚えている。揺れが収まり、参加者も落ち着きを取り戻してテレビをつけると、そこには東北地方の悲惨な被害状況が映し出された。津波はまだ押し寄せていなかったものの、太平洋沿岸の建物・施設は壊滅的な打撃を受けていた。

もちろん研修会は中止され、社用車で来ていた私はただちに帰京しようとしたのだが、海岸線の幹線道路は全線閉鎖。テレビで被害状況を確認するしかない。被害は想像を絶するもので、千葉県内では製油所火災も起きていた。気持ちは急くが、夜になると地震後の状況の分からない道路の危険度はさらに増す。その晩はホテルからの指示もあって、用意された部屋に一泊するしかなかった。

その間に業務以外で実施したことは家族の安否確認だ。私は日頃から「イザ」というときのために、会社で導入しているクライシスマネジメントの考え方を家族1人ひとりにも応用することにしている。まず、携帯電話を使う。それがつながらなければ固定電話。それもだめならEメールという手順である。幸い、家内も子供たちも無事とわかった。