外国の文化を知ることこそ醍醐味
最近よく、経営の現場でもグローバリゼーションが話題になる。社内の公用語を英語にする企業も増え、英語力を高めようという動きが鮮明になってきたことは非常に良いことだと思う。ただ残念なのは、多くのところで英語でのコミュニケーション能力を評価する際にTOEICで何百点以上というハードルを設けていることである。採用や昇格の基準にもしているらしく、日本人独特の得点主義に陥っている気がしてならない。
英語を身につけてビジネスで活用するには、スムーズな通訳的な会話だけでは足りない。共通の言語で、お互いの気持ちも伝え合うという側面もあわせ持つ必要がある。それによって信頼感も醸成されるわけで、相手とのコミュニケーションを深める要素は、TOEICのスコアだけでは測れない。私は、むしろ相手と文化を知ることにこそ、語学学習の醍醐味があると思っている。
ちなみに、英語を母国語とする人たちの国は多民族国家である。だからだろう、表現が正確で曖昧さがない。自分の意思がはっきり伝わらなければ、個人生活でのトラブルにとどまらず、ビジネスの世界では、思わぬ不利益をこうむる立場になってしまう。逆に、日本語は実に情緒的で、明快さをあえて避ける。そうした国や民族的な違いも知っておいたほうがいい。双方が相手の文化的背景を理解したうえでコミュニケーションを図らなければ、実のある会話は成立しにくい。
だから、我々自身がグローバリゼーションの前に自国のことを知るべきなのである。これは一般教養の問題だが、日本の教育制度では、とかく軽視されがちな傾向にある。ところが欧米では"リベラルアーツ"と呼ばれる教養がグローバル人材を育てる必要不可欠なものとして体系化されている。私が思うに、深い教養を身につけることは人間の器を大きくしていく。そのうえに専門知識で武装していけば、文字どおり"鬼に金棒"になるのである。