3度目の正直でアメリカ留学へ

昭和シェル石油 香藤繁常会長兼CEO

サラリーマン人生には、何度かの転機がある。私にとって、入社9年目で掴んだ米国留学は、その後のキャリア形成にも非常に有意義なものだった。社内の海外留学制度にチャレンジすることを決めたのは7年目。選ばれて海外のビジネススクールに行けるのは、80人に2人。つまり競争率40倍という狭き門である。通常は本社の原油部とか船舶部、総合企画室といった英語が必要な社員が派遣されるのがほとんどだった。

試験は英語と時事問題。これをクリアすると、本社での面接に進む。とりあえず、1度目は試験内容や傾向を知るためにトライアルしてみた。案の定、その年は筆記試験で敗退。翌年は、じっくりと対策を講じて再挑戦し、筆記試験は無事合格。本社での最終面接に臨むことができた。当日、私の目の前に座っているのは、社長をはじめ日本人役員3人と外国人役員3人。それに人事担当役員が仕切り役として加わっていた。

覚悟はしていたが、やはり緊張感は相当なものだった。まず、人事担当役員が質問をしたのだが、その主旨がさっぱり理解できない。自分のヒアリング能力がないのかと思い、頭のなかが真っ白になってしまった。当然、答えもしどろもどろ。そのことが尾を引き、トップとの質疑応答もチンプンカンプンで、2度目もあえなく不合格となってしまう。

背水の陣で臨んだ3度目では、ヒアリングを徹底的に訓練した結果、前年と同じ役員の発音と文法が悪いことに気づく。そのことを指摘すると、外国人役員もニヤリと笑った。緊張もほぐれ、3度目の正直で合格を手にする。

しかし後で聞くと、私の成績は上位2人には入っていなかった。ところが判定会議の席上、ある役員が「香藤君のスコアは期待値に達していない。けれども、彼にはのびしろがある。今回は3人合格でもいいのではないか」と援護してくれたという。またここでも、私の持ち前の運が味方をしてくれ、プラスワンでのすべりこみだった。