新入社員研修ボイコット事件

昭和シェル石油 香藤繁常会長兼CEO

1970年4月、私はシェル石油(現昭和シェル石油)に入社した。まず、同期3人で向かったのが大阪支店管轄の直営給油所(SS)。そこで3カ月の新入社員研修に入った。毎日、朝から晩まで、仕事といえばパンクタイヤの修理、エンジンオイル交換、洗車、地下タンクの在庫検尺である。

ひと月ぐらいは無我夢中だったが、研修目的を正しく知らされていなかった私達は、研修も半ばを過ぎると飽きてきた。私たちは顔を見合わせて「俺たちはいったい何をしているのか?」と話し合い、SS所長に異議を申し立てたが、納得のいく回答は無し。

そこで、若気の至りというものだが、3人で示し合せてサボタージュ、SSへの出勤拒否をしたのである。心配したSS所長からただちに支店長に連絡が行き、夜に一緒に食事をすることになった。一種の懐柔策だと思うが、そこで支店長から「君たちはSSのいろんな業務を通じて、顧客との接し方やSSスタッフとのコミュニケーションの取り方を学んでほしい。この研修は、仕事の最前線を知る社会勉強の一環だ」と諭された。

いまにして思えば“現場力”の大切さを掴むという面もあったのだろうが、そのときはまだ学生気分が抜け切れていなかった。叩き上げの熟練SSスタッフと現場力の無い大卒新入社員という、バックグラウンドの異なる者同士が、どうしたらチームワークを発揮することが出来るか、という問題意識を持ったのも、この時期である。

初任地は中国地方を統括する広島支店で、配属は給油所課。私が命じられたのが、新規SSの開発。開設予定地の用地買収から設計・施工までを手がけ、販売課に移管するという業務だ。もちろん上司はいるが、担当物件については私1人に責任と権限が与えられている。忘れられないのは、広島市郊外にオープンさせた広さ約400坪、土地代だけで8000万円という超大型SSの開発である。

土地の所有者は70歳過ぎの男性。病弱で体力も弱っており、契約に対しての当事者能力も疑わしい。そして何より、常識では考えられないのだが、同じ女性と3度結婚し、3度離婚している。しかも結婚と結婚の間に2年ずつのブランクがある。万が一、男性が亡くなった場合、相続権を主張する者が出て来ないとは限らない。当然、かなりリスキーな土地売買の契約になる。