1人で中国ビジネスを開拓
実りの多かった米国留学から1980年に帰国。石油化学製品販売を手がけるシェル興産(現シェルジャパントレーディング)の原油製品部に籍を置いた。ロイヤル・ダッチ・シェルから原油を調達する仕事だが、前年のイラン革命の影響をもろに受けた。亡命中だったホメイニ師を指導者とするイスラム教の革命勢力が、専制をしくシャー(国王)から政権を奪取した事件だ。シェルグループは、イランを原油調達国にしていたことから供給網が断たれてしまったのだ。
こうなるともはや売るものがない。私自身も仕事がまったくなく、いわば社内失業の状態に追い込まれた。やることといえば、留学で身につけた英語力を生かして、ロンドンやシンガポールに送るビジネスレターを作成するぐらい。空いた時間は、全国紙や業界紙に隅から隅まで目を通していたが、正直、「何をしているんだろう」という気持ちは抑えられなかった。
82年には仕入部に移り、そこで1人でやりはじめたのが中国を相手にしたオフショア取引である。原油や軽油を買って、日本の電力会社に売ったり、ガソリンを精製するための原料となるナフサを輸入したりといった具合だ。あるいは逆に、日本から中国へ潤滑油を輸出したこともある。必要に迫られて、貿易の実務も学んだことを思い出す。信用状取引を行うために、銀行を訪ねてL/Cの仕組みなどを教えてもらったことも懐かしい思い出になっている。
その頃、片言とはいえ中国語を話す日本人は非常に少なかった。中国の取引相手のほうも日本語を話せない人がほとんどで、英語にしても簡単な日常会話レベル。お互いにブロークンな中国語と英語で意思疎通を図る。けれども、相手の受けは良かった。そこには信頼感も生まれ、商談もスムーズに進む。こうして、中国をベースにした取引は徐々に拡張していった。