稲盛和夫氏が創業した京セラは、創業以来の黒字決算を継続し、売上高1兆1000億円を超える日本を代表する企業に成長した。
川村誠氏が社長に就任したのは2005年のこと。前任者の西口泰夫氏(稲盛氏の11歳下)は社内で“子世代”と呼ばれ、直接稲盛氏から薫陶を受けた世代。だが、西口氏よりさらに6歳下の川村氏は“孫世代”にあたり、稲盛氏との関わり方も子世代の人たちとは違ったようだ。

会社は高収益、社員は幸せになる

京セラ会長 川村 誠氏●1949年、愛知県生まれ。静岡大学工学部卒業。73年、京都セラミック(現京セラ)入社。93年ソーラーエネルギー事業部副事業部長、2002年機械工具統括事業部長、03年執行役員常務を経て、05年社長、09年4月から会長。

かつて京セラは、社員たちの猛烈な働きぶりから「稲盛教だ」と揶揄されることがありました。しかし、名誉会長である稲盛が確立した「フィロソフィ」や「アメーバ経営」を軸とする京セラ流の経営は、会社に高収益をもたらし、従業員には物心両面の幸福をもたらしています。

さらに、「国民のために」という強い使命感と、同じ哲学によって設立された第二電電(現KDDI)も経営は順調。稲盛が経営再建に乗り出した日本航空は、ご存じのとおり株式の再上場を果たすまでに回復しました。

ですから私は、自信を持って「たとえ稲盛教と言われようが、実績を上げているのは事実ですよ」と公言することにしています。

京セラのフィロソフィは全部で100項目以上ありますが、その中身は、組織運営や生き方の視点で見ても正論だと思います。

もっとも、役職員のすべてが、その教えをいまも徹底して実行できているかというと疑問符がつきます。もしかすると日本航空の方々のほうが、フィロソフィを新鮮に受け止め、真摯に実践しているかもしれません。

こう語ると、昔から稲盛の傍近くに仕えていたかのようですが、実は社長になるまで、ほとんど面識がなかったというのが実情です。私が入社したときの京セラは創業14年で、稲盛は41歳でした。

年齢差だけを考えたらもう少し接点がありそうですが、そのとき京セラはすでに従業員2700人、売上高240億円の企業に成長していましたから。