役人になるよりは、企業で働きたいと思った
1999年、29歳のとき、電通に入社する。入社後は第1営業局を経て、現在の第2営業局に移った。大手自動車メーカーなどのブランドキャンペーンなどに携わる。ブラジルの現地法人に1年間、赴任もした。
44歳の現在は、営業部の部長として、大学受験予備校・東進ハイスクールをはじめ、多くの企業の広告などにチームを率いて関わる。
「広告の仕事は、ひとりではできないのです。たとえば、チームをまとめていくことができる人は評価される傾向がありますね。入社した後は、学歴は関係ないと思います」
廣重氏は、筆者が取材で接する機会が多いコンサルタントなどと比べると、学歴を前面に出すことをしない。その理由の1つには、開成高校の頃の経験があるのかもしれない。入学時は成績がよかった。だが、しだいに成績が下がり、上位100番以内にはなかなか入れなかったのだという。
「あのときにつくづく感じました。ナチュラルに頭がいい生徒はいるのです。彼らは、英語の教科書を1回読むと、すんなりと頭に入るのでしょうね」
「彼らほどには、頭がよくなかった」と謙遜しながらも、現役で東大に合格した。入学試験を終えた日に、「合格した!」と手ごたえを感じたようだ。父親もまた東大卒で、役所に勤めていたという。子どものときから、父の働く姿をみていると、素晴らしい仕事ではあるが、国のために働く役人になるよりは、企業で働きたいと思ったようだ。そのようなこともあり、経済学部を選んだ。
筆者には、開成高校に入ることも難しく思える。そのあたりを尋ねると、廣重氏は「いや、小中学生の頃は体育が好きでしたから……ガハハ……(笑)」と、これ以上は答えなかった。