一橋大を25歳で卒業し、大手証券へ

「同じ時期に入社した東大卒の社員がよく話していました。『俺たちは高偏差値大学に入ったのに、なぜ、入学難易度の低い大学出身者と同じ大卒扱いなの?』って。『お前なあ、それは露骨過ぎるだろう』とたしなめつつも、『どの大学を卒業しても同じ新卒者扱いでは、大学受験のときに猛烈に勉強をした意味がないな』と、当時は彼の発言に心の中では素直にうなずいていました。だけど、その後、この考えを大きく変えることになっていくのです。」

黒岩正一・ヘルメス社長。一橋大学社会学部卒、一橋大学大学院商学研究科修了。

全国で講演やセミナー、研修などの講師業や執筆活動を展開する黒岩正一(52歳、筆名クロイワ正一、以下クロイワ)さんが、1988年4月に日興證券(現SMBC日興証券)に入社し、営業を始めた頃を振り返る。その年の3月、一橋大学社会学部を卒業した。「1浪2留」で、25歳だった。

現在は、高校、大学、官民や病院での教育支援を行う会社・ヘルメスの代表取締役を務める。有名大学受験予備校で、英語や小論文も教える。

就職活動をしていた頃、日興證券から内定を得た後、人事部から連絡が入る。JR飯田橋の駅に来るように言われた。就職活動の解禁日だった。

当時、よく行われていた「内定者の拘束」である。解禁日に、内定を与えておいた学生がほかの会社の試験を受けることができないようにするために、人事部が旅行に誘うことが横行していた。特に将来の幹部候補の学生らがターゲットになっていた。

クロイワさんが駅に着くと、東大と一橋の学生が10人ほどいた。ほかの大学の内定者はいない。貸し切りのバスに乗った。向かったのは、日光市(栃木県)。東大の学生らと、「自分たちは選ばれし学生」とたたえ合ったという。

入社すると、さっそく配属が決まる。全国の支店には、主に私立大学を卒業した人たちが配属されたようだ。新入社員だったクロイワさんの目には、出身大学により、明らかに差を設けていると映ったという。

「早稲田や慶應出身の新入社員は、数が多い。本店に残る場合は、営業部やシステム部などが多かったと思います。特に早稲田出身者は、営業志向が強く虎視眈々と出世を狙う新人が多いようにみえました。

東大や一橋出身者は、調査部や債券などを扱う部署が多かったですね。支店に配属される者は非常に少ない。同期入社は2大学あわせて15人ほどいて、支店配属は2人。そのうちの1人が私……(苦笑)。早稲田や慶應出身者は、支店で営業をする人も多かったように感じました。辞めていく人も多いですね」