不便だけど、ここを通るしかない

マラッカ海峡がこれほど代えがたいのは、その形のためです。全長はおよそ900キロと長いのですが、問題は南の出口です。シンガポール沖のフィリップ水道では、可航幅がおよそ2.8キロまで絞られます。国際海事機関の主導で1981年から通航分離方式が敷かれ、上りと下りにそれぞれ幅1海里ほどの車線が引かれています。世界の海上貿易の2割が、この車線を一列で通り抜けているのです。

しかも水深が浅く、大型船には余裕がありません。座礁すれば一隻で車線を塞げます。加えてスマトラ島の森林火災の煙で視界が落ちれば通航が滞り、そこに渋滞と海賊が重なる。軍事的な封鎖を持ち出す前に、事故と天候と犯罪だけで十分に脆いのです。

では避けて通れないのか。地図の上では、インドネシアの島々のあいだを抜けるスンダ海峡やロンボク海峡という別の道があります。ただ、どちらも大回りになり、日数と燃料が余計にかかります。マラッカは「便利だから使われている」のではなく、「ほかに術がないから使われている」海峡なのです。

中国が抱える「マラッカ・ジレンマ」

この海峡をめぐる争いの核心には、一つの国が存在します。中国です。

急速な経済成長のなかで、中国は世界最大級の原油輸入国になりました。その原油の大半は、中東やアフリカから船で運ばれ、インド洋を渡り、マラッカ海峡を抜けて中国沿岸に届きます。つまり中国の経済は、自国から遠く離れた一点の細い水路に、命綱を預けている状態です。

しかも、その水路の周辺にはアメリカとインドの海軍力が広く展開しています。有事に海峡を封じられれば、産業は止まる――この不安は「マラッカ・ジレンマ」と呼ばれ、2000年代の初めに中国の指導者自身が口にして以来、国家戦略の中心にある課題となりました。

本書の第2章で扱う第一列島線の問題と合わせると、中国が置かれた地理の窮屈さが立体的に見えてきます。太平洋へ出る東の扉には島々の壁があり、資源を運び込む西の扉はマラッカという細い喉に絞られている。東西の両方に蓋がある。この二重の閉塞感が、中国のインフラ投資と海軍増強を駆り立てる原動力になっています。

この課題に対して、中国はいくつもの答えを試してきました。いずれも「海峡を通らない道」を確保する試みです。