「ロールスロイス」オーナーの一言に絶句した
ここで、忘れられないエピソードを一つ紹介したい。
以前、「車が大好きだ」というシン富裕層の男性に出会った。彼は自らロールスロイスを購入し、運転手までつけて、毎朝その後部座席で会社に出勤するという。
なるほど、車好きらしい優雅な話だと、私は微笑ましく聞いていた。
ところが、である。
その後部座席で彼が何をしているかというと――ずっとスマホゲームに没頭しているのだという。窓の外を流れる景色にも、極上のレザーシートの座り心地にも、まるで関心がない。ただひたすら、画面の中のキャラクターを動かしている。
「もったいないですね、せっかくのロールスなのに」と私が水を向けると、彼はこともなげにこう言った。
「いや、僕、免許持ってないんで」
――絶句した。
車好きを自認し、ロールスロイスを所有し、運転手まで雇っている男が、自動車の運転免許を持っていない。彼にとってロールスロイスとは、「運転するもの」でも「資産」でもなく、移動中に快適にスマホゲームができる「上質な個室」だったのだ。
この話には、シン富裕層の本質が凝縮されていると思う。彼らが車に求めているのは、馬力でも、ブランドの威光でも、リセールバリューでもない。「自分の時間をいかに心地よく過ごせるか」という、きわめて個人的な体験なのである。
ちなみに、テスラのような電気自動車に走るシン富裕層も一定数いる。環境への配慮という「意味」に価値を見出すタイプだ。
また、米国では自動運転タクシーWaymoが日常の景色になりつつあるように、自動運転テスラは、未来の可能性の思想にかけるという視点から、従来の車には興味がないが、この未来に数千万払うということが起こり始めるのではないかと思う。
この次の市場は、この矛盾の中にあるといえるのだ。
だが、「免許を持たない車好き」という彼のような存在は、それすらも軽々と飛び越えている。実に、面白い。
お金持ちの世界に限った話ではない
ここまで、お金持ちの3つの層を「車」という一点から見てきた。
オールドリッチは、車に「格式」を見た。ニューリッチは、車に「資産価値」を見た。そしてシン富裕層は、車に「体験」と「意味」を見ている――あるいは、何も見ていない。
車を「所有する対象」ではなく、必要時にアクセスする移動・体験サービスとして捉える傾向がみられる。
そしてこれは「お金持ちの世界」に限定された話ではない。
日本人の消費そのものが、大きく姿を変えつつあることを示している。かつては良いモノを所有することが豊かさの証だった(モノ消費)。次に、旅行や食事といった体験にお金を使う(コト消費)。そして今、我々が足を踏み入れつつあるのが、その商品やサービスが持つ物語や社会的意義に共感してお金を払う(イミ消費)の時代である。
シン富裕層は、この変化の最前線を走っている。彼らの財布の紐は、決して固いわけではない。ただ、緩む場所が、これまでの常識とは違うのだ。
数百億の資産を持ちながら「車を所有すること」に価値を感じない。その一方で、共感できる社会活動や、二度と味わえない一夜の体験には、惜しみなく大金を投じる。
車を買わない――この裏には、「豊かな時代」の消費者心理が隠れている。
日本のカーシェア市場は拡大を続けている。交通エコロジー・モビリティ財団によれば、2024年3月時点でカーシェア会員数は469万人超、車両数は6.7万台を超え、いずれも前年から大きく伸びた。
一方で、一般財団法人自動車検査登録情報協会の統計によれば、「都内の1世帯当たりの自家用車保有率は全国最下位で0.405台で若年層は免許保有率・普及率ともに明確に低下」という傾向がでている。
全国の保有台数(実数)は伸びてきたが、1世帯あたりでは全国的に12年連続減少。全国の総数の伸びは主に高齢層や複数保有・軽自動車の増加に支えられていて、若年層と都市部では逆方向のトレンドが進んでいるのが実態だ。
もはや「車は買うもの」という前提自体が、都市生活では揺らぎ始めているのだ。
彼らが次に「何を買わず、何に払うのか」。シン富裕層の消費行動は、これからの日本経済を占う、最良の羅針盤なのかもしれない。
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