同じ景色を見ているのに、見えているものは違う
2人が同じ場所から景色を眺めながら、フェグダ氏がBBに「今、何が見える?」と問いかける場面。
――フェグダ氏は、同じ場所にいるからといって、同じものを見ているとは限らないことをBBに示す。
2人が同じ場所から景色を眺めながら、フェグダ氏がBBに「今、何が見える?」と問いかける場面(出典=『マンガで体感! 調和力で人を動かす トラストコーチング』(イラスト・MARUMI、KADOKAWA))
――男性は確かに視界に入っていた。それなのにBBは、シャツの色を正確に思い出せない。
そこでフェグダ氏は、人は「受け取る準備ができている情報」しか受け取れないと説明する。
――同じ風景を眺めていても、酒が好きな人なら酒に目が向き、服に関心がある人なら服装が記憶に残る。
フェグダ氏は、いまのBBが見ている景色と、一流のコーチになったときに見える景色は「全く違う」と伝える。
「前にも言ったよね」で解決しないのはなぜか
この漫画で描かれていることを職場に置き換えると、上司と部下のすれ違いがよくわかる。たとえば、2人が同じ会議に参加していたとする。
上司は経営側の説明を聞きながら、「売り上げにどんな影響があるか」「顧客対応をどう変えるべきか」と考えている。
一方、部下は「自分の担当業務が増えるのか」「具体的に何をすればいいのか」に意識を向けているかもしれない。聞いている話は同じでも、アンテナを立てている場所が違う。
そうであれば、会議のあとに記憶している内容や、重要だと判断したポイントが違っていても不思議ではない。にもかかわらず、上司は自分に見えているものが、部下にも当然見えていると思いがちだ。
「会議で説明していたよね」
「資料に書いてあったよ」
「普通なら、ここまでわかるだろう」
しかし、「情報がそこに存在したこと」と、「相手がその情報を重要なものとして受け取ったこと」は同じではない。
漫画のBBが男性のシャツを視界には入れていたのに、その色を覚えていなかったのと同じだ。


