この夏、2つの映像作品が注目を浴びた。クリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』と、アニメ『天幕のジャードゥーガル』。舞台は古代ギリシャと中世モンゴル。2作には共通点がある。「神話」とその解体にまつわる話なのだ。
紀元前8世紀に成立した世界最古のファンタジー叙事詩「オデュッセイア」には、ゼウスやアテナなど古代ギリシャの神々たちが登場する。主人公の王オデュッセウスも、神ヘルメスのひ孫だ。
映画に神々は直接出てこない。ゼウスは概念として、ポセイドンは大荒れの海として、アテナは亡霊としてのみ登場する。ノーランは神なき神話を描こうとした。が、日本人の多くはギリシャ神話を知らない。描かれなかった神々を知らねば、ただの冒険スペクタクルにしか見えなくなる。
そこで『「オデュッセイア」入門』である。神話学者が叙事詩を紐解く。神と人は親と子の関係にあり、オデュッセウスは武力ではなく知力で戦う。20年も故郷を離れた男が、妻子のもとに帰る――軸にあるのは「家族」の話だ。神話から人の世界へ。その道筋が内包されている。
物語は、始まりと終わりが呼応する「折り返し」。複数の空間と時間を同時に出現させる「多元進行」。洗練された構造が吟遊詩人ホメロスの口伝で語り継がれている。
しかも、この神話世界はユーラシア大陸を跨いでいた。インドの英雄叙事詩『マハーバーラタ』、『アラビアン・ナイト』、日本の『百合若大臣』。古代から中世まで巨大大陸で物語が共有されていたのだ。
そのユーラシア大陸に人と物と情報が流通する基盤をつくったのがモンゴル帝国――『天幕のジャードゥーガル』の舞台だ。ジャードゥーガルとはペルシャ語で魔女。
主人公のシタラは、モンゴル軍に街を焼かれ、主人を殺され、連れ去られる。そこで出会うのがドレゲネ。彼女もまた故郷を滅ぼされながら、仇であるチンギス・カンの三男オゴタイの第6王妃となっていた。2人は「魔女」として帝国を内から壊そうと企む。
が、シタラは気づく。モンゴルの知性に。オゴタイは冷徹さと先見を併せ持つ知将。馬で、軍事と交通と物流と情報網を整備し、ユーラシア大陸にGAFAMのようなプラットフォームをつくる。故郷を焼き、愛する人を殺した憎きモンゴルをシタラは一瞬尊敬してしまい、あがく。その視座が、「野蛮なモンゴル帝国」という神話を解体する。
神と人が同居するオデュッセイア。騎馬民族が築いたミステリアスな大国モンゴル。2つの神話を読み解き、解体することで、現在の世界を見つめ直すヒントが生まれる。神とは何か。家族とは何か。国家とは何か。人生とは何か。
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