2024年に日本人として初めてICC(国際刑事裁判所)の所長に就任した赤根智子さんは「子どもの頃から理科が大好きで、愛知県立旭丘高校へ進んでからも得意科目は化学など。当時も今もあこがれる職業がある」という。『戦争犯罪と闘う』(文春新書)から紹介しよう――。
オランダのウィレム=アレクサンダー国王に謁見した赤根智子ICC所長
写真=ANP/時事通信フォト
オランダのウィレム=アレクサンダー国王に謁見した赤根智子ICC所長、2026年10月9日

もともとは子どもの頃から理系志向

もともと私は理系志望の人間でした。今でも数字や数式に憧れを感じます。「関数でものを考える」といったことにとても興味があるんです。あまり他人と関わらずに、何か一つの研究テーマを黙々と追究するような人生だったら、もっと幸せだったんじゃないかと思うこともあります。そもそも人前で喋るのが苦手ですし。結果的にICCの所長などという立場になってしまって、「ものすごく不得意な方向に進んじゃったな……」と内心では思っています。

小学生のころは、算数や理科が好きでした。特に理科の実験が好きで、家に帰ったあとも、ものの比重を一人で測ったりしていました。「誤差が出ないようにするにはどうしたらいいのか」と自分なりに試行錯誤していたのを覚えています。

父親も理系、結婚しろとは言われなかった

私の理系志向には、父の影響があったと思います。父方の親族は理系の研究職の人が多くて、父もそうでした。戦後すぐのころ、名古屋大学を卒業して、企業の研究職として働いていた。ただ、途中で不本意な営業職に異動させられてしまったんです。

父は戦争で大学に入るのが4遅れたそうで、「だから俺は出世できないんだ」が口癖でした。だからといって、それを気にする様子はなく、子どもに対しても「出世なんかどうでもいい。しかし、どんな世の中になっても生きていかねばならない。要は上でもない、下でもない真ん中にいれば、上と下がひっくり返っても真ん中にいられる。やりたいことをやればよいが、資格があるほうがよい」という態度でした。

母も同じで、いい人を見つけて結婚しなさい、それが女の幸せだ、みたいなことは言わなかった。母は当時では珍しい短大卒で教師の資格も取っていました。本当は教師の仕事をしたかったけれど、婚期を逃すとか言われて親に止められた過去があったようです。娘には同じ思いをしてほしくなかったのかもしれません。

名古屋の進学校へ、女子は5人に1人

進学校として知られる愛知県立旭丘高校に私が入学したときは、近所の人から「なんで?」と聞かれました。女が進学校に行っても意味がないだろうというわけです。私は、そういう他人の声を全然気にしませんでした。いや、むしろ、「みんなと同じように行動するのが安心」みたいな考え方が大嫌いだった。「こうするべき」と言われると、かえって反発したくなる。

旭丘高校に入ってみると、1クラス45人で、女子は10人。これでも「今年は女子がすごく多い」と言われたものです。