エリート意識の高い東大生に違和感も
1975年春、無事に試験に合格して、東京大学文科一類(主に法学部へ進学)に入学しました。お恥ずかしいことに、このときの私は、法学部を卒業すれば自動的に弁護士になれると思い込んでいた。世間知らずにもほどがありますね。
実際に東大に入ってみると、「想像していたのとちょっと違うな」と感じました。当時の私の東大生観は、みんな自分をエリートだと思っていて、人生順風満帆と思っている、というもので(後年、それは一種のステレオタイプな見方で、大きな間違いだと気づきましたけど)、官僚志向の人が多いとも感じていました。私にとっては、旭丘高校の仲間のほうがバラエティに富んでいて、また人間臭くて魅力的な人たちに思えました。
「法律とは何か」腹落ちしないまま
しかも、いざ法律を勉強してみると、どうも肌に合わない。法律の世界というのは、すべてを言葉で表さなくてはならないんですけれども、これが私は不得意なんです。数式なら良いけど、妙に理屈を並べて執拗にまぎれのない言葉で示すというのは(これが法的思考というのでしょうが)あまりうまくできないので、苦労しました。特に刑法や刑事訴訟法なんかは性に合わないと思った。のちに検察官や裁判官となる人間にあるまじき話ですが……。最初の2年くらいは、「法律とは何ぞや」ということがいまひとつ理解できないまま、停滞していたような気がします。
3年生になると、そろそろ卒業後の進路を考えなくてはなりません。私は、司法試験と公務員試験にチャレンジしようと決意しました。まだ男女雇用機会均等法が施行される前で、女性をまともに雇ってくれる企業はごく少なかったから、他に方法がなかった。両親の言う通りでしたね。私も、このころになると、司法試験に合格しなければ弁護士になれないことはよく理解していました。司法試験がとても難しい試験で、合格率はせいぜい2、3パーセントくらいであることもわかっていましたので、ようやくエンジンがかかったように勉強するようになりました。
合格率3%の司法試験は難しかった
4年生のときは司法試験だけを受けました。この年は、当時の短答式試験は通過したものの、論文式試験は不合格。勉強し始めたばかりだった商法の部分が敗因と思われます。
大学に籍を残して、翌年、改めて司法試験と、国家公務員の上級試験(当時)を受験。今度はどちらも合格することができました。
東京大学法学部卒。1982年検事任官。横浜、津、名古屋、仙台、札幌他地検検事、東京高検検事、函館地検検事正などを経て国際連合アジア極東犯罪防止研修所所長、法務省法務総合研究所所長、最高検察庁検事など歴任。名古屋大学・中京大学法科大学院教授、外務省参与・国際司法協力担当大使なども務めた。2018年国際刑事裁判所(ICC)判事。2024年3月からICC所長。
