他人の敗北に心を痛めなくなる

そう考えると、競争で育てられると言われている「成長」というのもまた、どこかの立場からみた成長である。それは、他人を出し抜くことかもしれない。自分よりも足が遅い人が、自分が頑張ることでビリになることに心を痛めなくなることかもしれない。

難波優輝『アンチ・スポーツの哲学』(朝日新書)
難波優輝『アンチ・スポーツの哲学』(朝日新書)

ともかくも自分が全力を出すことに集中して、運動が苦手な人がいるのかもしれない、などと思い悩むことなどなくなるかもしれない。

つまり、競争は、良い能力の成長を促すかもしれないが、同時に、そうでない能力の成長を促すことも十分ありうる、ということだ。

それゆえ、スポーツ的な競争が成長を促す、というのは、部分的には正しい。誰よりも秀でることで、誰かが負けることに心を痛めない能力を高めるのではないか。つまり、誰かが負けても、心を痛めるという能力が退化するということにならないか。

例えば、大きな大会の決勝で勝敗が決した瞬間、特にどちらに肩入れしているのでなければ、多くの観客や視聴者の関心は勝者の歓喜に集中する。

敗れた側の悔しさや喪失に思いを向けることは、少なくともその瞬間には後景に退く。〈スポーツ〉に親しむということは、誰かの敗北のうえに成り立つ勝利を自然なものとして受け入れる感覚を身につけることでもある。

検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

【関連記事】
これで分数・小数・速さは大丈夫!親子で楽しみながら「抽象的な数」を理解する会話術
日本人に突出して多いのはA型だが韓国は全く異なるのはなぜか…"血液型に刻まれた人類の進化と適応の歴史"【2026年3月BEST】
「ADHDグレー」と診断された子どもたちが高確率であてはまる幼少期からの「危険な習慣」
なぜ日本人夫婦の3組に1組が離婚するのか…「価値観の違い」でも「セックスレス」でもない本当の原因
ケネディ大統領と破局したら次は弟へ…「恋多き女」マリリン・モンローを"メンヘラ化"させた2つの大事件