敗北から「たくましい精神」は作られる?
「世界で活躍できるグローバル人材を育てるための英語教育プログラム」を開発し、「25年間で延べ5000名以上のバイリンガルを育成」するTLC for Kidsを運営する船津徹はこう語る。
「競争」は子どもの成長に不可欠です。近年の日本は「徒競走で順位をつけない」など、一部で子どもから競争を遠ざける傾向もあるようです。しかし、子どもから競争を奪ってしまうと「目標に向かって頑張る」という自主的な意欲が育ちません。また成功体験を通して「自信」を大きくすることができません。失敗や敗北をバネに飛躍する「たくましい精神」を鍛えるチャンスを失ってしまうのです。(船津 2024)
船津は、「子どもから競争を奪ってしまう」と「目標に向かって頑張る」という「自主的な意欲が育」たないこと、そして、「成功体験を通して『自信』」を育てることができない、という。合わせて、「失敗や敗北」から学び「たくましい精神」を鍛えられなくなるという。
子どものうちに「競争」を経験しておく
おそらく、前出の二人は、こうした失敗からの学びによって、子どもはたくましくなるのに、その機会を奪うことが「過保護」だ、と言いたいのだろう。競争賛成派の声としてもう一つ、これらの意見を集約したような秀逸なコメントを紹介したい。
大人になれば仕事で競うことや負けることもたくさんある。それを小・中学生のうちに経験しておくことは大切なことである。勝つ人がいるということは、一方で負ける人も出る、だからこそ互いに正々堂々と力を出し切ることが大切という道徳心も育てたい。何でもかんでも【多様性】の名のもとに全受容するのは、将来を生き抜くたくましさが育たないと思う。(小学校・教員)(メガホン 2025)
ここでは、なぜ子どもたちが「たくましさ」を鍛える必要があるのかのより具体的な説明がある。
「大人になれば仕事で競うことや負けることもたくさんある」、つまり、社会において労働者として働くときには、競争がつきものであり、その競争を子どものうちに経験しておくのが重要だ、という主張だ。
もし子どもたちが運動発表会で競争しないならば、「将来を生き抜くたくましさが育たない」と言いたいわけだ。
本当に「競争」は「成長」を促すのか
以上の主張の共通点の一つは、競争を体験することが、「成長」を促すというポイントにある。競争することで、そして、負けることで人は成長する、という考えがある。
なるほど、もし、競争することが成長を促すのだとしたら、それはいいことになるのではないか。
そして、〈スポーツ〉というのは競争そのものなのだから、〈スポーツ〉をやればやるほど、実社会の競争の準備ができるし、たくましさが育つし、いい事づくしだ、ということになりはしないだろうか。

