相手の感情を「間違い」と決めつけない
怒りは、最後の手段として、あなたを守る。この意見の対立を解決する他の道があるうちは、怒りに頼らなくていい。強く出れば、相手は引き下がるかもしれない。だが、納得はしていない。感情を抑えられないと感じたら、それを率直に伝え、一旦場を離れる。冷静さを取り戻す時間を取る。
相手の感情が間違っているかどうかを判定する裁判官になってはならない。そうしたくなったら、立ちどまる。「そんなふうに感じるなんておかしい」と伝えたところで、感情は消えない。相手は自分の感情を恥じ、そう感じた自分を責め、心を閉ざす。つながりはそこで途絶える。
相手の立場でこの状況を見たら、そう感じるのも当然だということを認めてみよう。どんな感情があってもいい。「そういう気持ちがあったんだね」と認める。それが、関係を修復する足場になる。
相手の善悪をジャッジしない。「なぜそういう気持ちになったんだろう」とその背景に好奇心を持つ。それが役に立つ。言い争いをしていると、裁判官になりたくなる。自分の視点こそが正しいと、立場を守り、防衛する。自分の意見だけが正しいのに、相手の視点など理解する必要はないといわんばかりに。
理解することと同意することは違う
しかし、ここでの目標は、2人の関係を育み、維持することだ。2人は、別の個性を持ち、別の角度から物事を捉え、別の感情を持っている。相手の見方を理解することと、それが正しいと同意することは同じではない。
「その気持ち、わかるよ」と言うことと、「あなたが正しい」と言うことは別だ。相手が今ここである感情を感じているということ、その感情がそこにあることを認める。「苦しかったんだね」「そう感じたんだね」と。正しい、正しくないという判断ではなく、ただ理解しようとすること。それだけでいい。
私たちには“確証バイアス”がある。つまり、人はもともと信じていることを裏付けるやり方で情報を集め、解釈する傾向がある。「自分はダメな人間だ。みんな、私のことなんてどうでもいいんだ」と思い込んでいたら、それを裏付ける証拠ばかり見つける。思い込みはさらに強くなる。
そして、それに反する証拠を無視する。自分にダメージを与えるような思い込みの場合であっても、確証バイアスは起こる。過去の経験が、こうして世界の見方を歪める。簡単には修正できない。これに類する“視点の偏り”の例をいくつか紹介する。
